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西表島の朝、サガリバナの花火・その③

暗闇にひっそりと現れたサガリバナ。この花は昨晩初めて咲いた。そして、虫たちに甘い蜜を与え、花粉を託す。あとは水面に落ちる瞬間をだだ待っているというのか。時が過ぎることが惜しくてたまらなかった。
いつの間にか空には雲が輪郭をはっきり浮き立たせて朝を知らせていた。

「ソシラソファミレド~」

アカショウビンが鳴き始めた。
アカショウビンはカワセミの仲間で、名前の通り全身真っ赤な鳥で、日本で見かけるカワセミ、ヤマセミと違ってアカショウビンだけが渡り鳥だ。3月から8月まで日本にやって来て繁殖活動をして、フィリピンやマレー半島で越冬する。「カヌーツーリングあたらす」のツアーガイドYさんから「アカショウビンはソシラソファミレド~の音階です」と教えてくれた。なんてセンスの良いメロディーをアカショウビンは選択したんだろう。Yさんは音痴なアカショウビンもいると話していたけれど、にわかの鳥好きには、どの声も素敵な「ソシラソファミレド~」だ。あんなに赤い体をしているのに姿は見えない。

リュウキュウコノハズクが鳴き、甘い匂いに囲まれ、パドルで水面を撫でた水が川に戻ろうとするヒタッっという音、そして聞こえだしたアカショウビンの「ソシラソファミレド~」の声。
この世に、こんなに静かで豊かな音に囲まれた瞬間が存在することが信じられなかった。無駄がひとつもない、洗練された音だけの世界。
後から知ったことだが「日本の音風景100選」に「後良川(しいら)周辺の亜熱帯林の生き物」が選ばれていた。納得、納得。
毎朝、こんな朝を迎えられたらどんな人間が出来上がるのだろう。たとえ、ボケボケにボケてしまっても、それはそれで幸せだ。
カヌーはさらに川の奥に進む。
サガリバナに近づくとブンブン、ブンブンと小さな働き者たちが集合していた。私たちの存在など完全に無視して、鈴なりのサガリバナの花に虫たちが大興奮している。カナブンみたいな子もいれば、大型の蜂もあくせく働いている。流れる汗も気にしない、この子たちにとって2ヶ月限定の繁忙期、人間には構っていられないのだ。

夜が完全に明けた頃、川幅が楕円のように丸く開けた所に出た。いたるところにサガリバナの姿がある。濃いピンク、白、緑がかった白。鑑賞し放題だ。私たちは縦横無尽に、カヌーを濃いで「あっちの、こっちのサガリバナ」と時間を忘れてサガリバナのはしごをした。食べ放題のレストランでどこから手を付けていいのか分からない、大パニックの子供のようだった。ツアーガイドYさんによると毎年、6月下旬~8月上旬の後良川にはたくさんのツアー客が集まるため、好みのサガリバナをじっくり鑑賞できることは少ないそうだ。ありがとう台風8号。
2018年7月の石垣島と西表島の旅はこの台風8号に振り回されたが、思いがけない恩恵をいたる所で頂いた。
台風8号に感謝をしつつ、いつしかそんなことも忘れて、しばし贅沢な花見を楽しんだ。つづく。