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久米島紀行⑩球美の島、つなげた縁

久米島に行かなければ決して出会うことがなかった人たちとの縁を考える。
こうして久米島の事をnoteに書いている時に、久米島にある白瀬川と桜が登場する琉球古典音楽の白瀬走節を歌っている時に、みそ汁を作る時、沖縄で買った味噌を溶く瞬間に、勝手にこじつけて考える。
このご時世、自由に久米島で出会った人たちに会えなくても、久米島を訪れなくても、久米島が繋げた縁は新鮮な光を放つ黄金色であることは間違がない。

偶然、インターネットで見つけた久米島格安ツアーが四方八方に縁を繋げ、今の私を形成する一因を作った。
言い過ぎに聞こえるだろうか。
少なからず久米島の地を踏む前の私と踏んだ後の私では明らかに世の見方が変わった。
縁が縁を呼んで、他人の考えている事をかじり見て、感心し、学習し、感銘を受け、久米島に来る度に私は、鷹揚に考える力が身に付いた。
むやみやたらに気に病む事が減った。

スクーバーダイビングの休憩時間にダイビング仲間とのおしゃべりは、恋愛の悩みから仕事の愚痴まで笑いに変えて、体の芯にしつこくまとまり付いていたイライラやモヤモヤはサラサラ流れるままに海に流れ落ちた。
マリンショップの同世代の女性スタッフが真っ黒に日焼けをして黙々と仕事をこなす姿に鼓舞され、明日への意欲がわいた。
長年、島の魅力を発信し続けて、理想とする店を始めるまでのひたむきさ、その精神力と忍耐力に脱帽した。

久米島の外でも縁は続き、奥行きを増す。

久米島の居酒屋でバイトをしていたYちゃんが西表島で働いているというタイミングで私が来島し、西表島の居酒屋でカンパイした時には、はるか海を超えて結びつくご縁に鳥肌が立った。

私の住む千葉の海の中を美味しく、楽しくガイドしてくれるダイビングショップ、マイダイブのノリさんを紹介してくれたのはブラスアルファ久米島の寺井さんだった。
さらにその縁で実家のある宮城県でダイビングショップを経営しているハイブリッジのマサさんの存在を知り、東日本大震災後の女川の海を、ダンゴウオやクチバシカジカがかつて生活していた海の復活の兆しを見ることができた。
久米島で知り合ったダイバー仲間と久米島以外の海に潜りに行けば、また新たな人との出会いがあり感動する七色の海が待ち構えていた。

歌三線を始めて、久米島の琉球音楽を支える三線職人と出会う縁があった。かつて琉球王国時代、首里城の中で外交的に演奏していた歌三線の先輩方のような演奏者になりたいと高みを目指し、日々歌三線と向き合える根源の1つは、いつか彼の極上の三線を私の歌に添えて久米島の空に響かせたいという志しである。

すべての事柄が繋がり、途絶えない縁が見えずとも感じる感動を味わえた久米島の縁は金では手に入らない財産だ。

鳥のように自由に飛び回れなくとも、鮮明によみがえる縁の始まりは忘れることなく、いまなお続く。
次に久米島を訪れた時に出会う縁を今からソワソワしながら、文字にしたためる。