医師としてあまり口にしない技術的な悩み12
異常と正常、軽症や重症の分類が役に立たないあいまいな、ぼんやりした患者の例をみることがあります。本当の人の体のありさまはもっともっと複雑なのではないかと医者をしていていつも思います。我々には限界があるんです。
批判をおそれずにいうと、病気という判定自体が、あくまで人為的なものなので実際には不完全ではないでしょうか。
ちょっと専門的な言い方になりますが、病気、重症、軽症、病気でない、みたいなとびとびのレッテルをつけることを離散的に処理するといいます。
一方、本当の体の変化は、中の異常の度合いがとびとびではなく、もっと細かくちょっとずつ違うということはなのかもしません。これを連続的といっておきましょう。異常の量が多くなると、症状が増えてくるイメージで、どこからが異常とはっきりとした境がない感じです。
異常と正常の境があるように見えてぼんやりしている背景として、異常の量と症状が比例しているわけではなく、異常の量が増えてくると、急激に症状が増えるみたいなことがおこっているからかもしれません。
体の中の異常の量に対して出てくる症状が比例していることを線形性があると言います。これだと、体の中に異常が2倍多くあると、症状も2倍ひどくでてくるといったことです。
異常の量がちょっと大きくなると、症状がめちゃくちゃひどくなったり、多くなることを非線形性があるといいます。グラフにすると、直線になるから線形性なんですね。あるところで一気に症状がつよくなる性質を持つのがわかります。
このグラフで言うと、体内の異常の量がxにあたり、出てくる症状がyにあたる感じです。
このモデルは、なにも完全に妄想ではなくて、人間の体のような大量のネットワークが相互作用しているもの、現象に関してはどこでもおこりえることです。(経済活動などでもみられることがわかっています)
二次関数のグラフが紹介されていますが、二次関数のグラフにように、体の中の少し異常の組み合わせが増えると、でてくる症状がひどくなったり種類が増えてくる。そして、あるところで自覚としてしんどいとか調子が悪いと感じるようになり、病院での診察や検査で異常と判定できるようになるのかもしれません。
これは妄想ですが、似たような現象は実際に見られます。
風邪を例に挙げると、感染したウイルスの量や、感染した細胞の分布により、症状がでてくるが、
鼻の粘膜の一部に感染したケースでは、調子が悪いとは自覚されず、
鼻、喉の広範囲に感染したものは、炎症が生じ、熱が出て、痛みも出てくるので、調子が悪いと自覚されるといったことです。
前者と後者の間には無数の程度とパターンがあり、これがあるとぜったい風邪だとストレートにきまらないのかもしれません。
ちなみに医学では風邪=ウイルス性上気道炎は、気道のそれぞれの感染の場所による症状、鼻汁、咽頭痛、咳の三つが揃うということになっています。
これをグラフで表すと、上が本来の病気の姿(として例えば僕が提案するものの一つ)、下が人間が見えている病気の姿です。
僕が異常か正常かよくわからなかったのは、たまたま、人間が異常と感じる/わかるレベルの近傍からやや正常よりのケースを僕はみていたからなのかもしれませんね。
さらに、体に存在する異常の量や目に見えて出てくる症状の種類は、時間を追うごとに変化していきます。
僕たちの多くは、ある時点でしか、状態を適切に判定できないのではないでしょうか。
例えば、夜に赤ちゃんの発熱で病院に受診する親御さんはたくさんいます。でも、そのほとんどは、熱以外に症状があまりありません。
でも、一定の割合で、その後、咳が出たり、下痢が出たりといった症状が現れてきます。
ここまでくるとその子にどんな異常があったのかわかりますが、最初に受診した時は、体温としては異常であるものの、食事を食べられていて元気であれば、特にやることがありません。病気の名前もつけようがありません。
僕たちはこういう状態をなんといっていいか認識しづらいです。
医学のほとんどの知識(診た時この症状があると〇〇という病気とするといような知識)微かな違いがわからない我々が処理しやすいようにつくった人工物でしかないのではとおもいます。専門の方はご存知のように、精神科の病気の定義(DSM,ICD)がこの性質を強く帯びています。
本当の人間の体のありさまや病気の正体はもっともっと複雑でその前には、僕たち医者の認知的な限界が存在するように思います。
したがって、我々は、少しの異常や、異常と正常のあいだみたいなあいまいな例について目ざとくなっておく必要があるかもしれません。
例えば、ほとんど運動しないで座ったまま年間何千時間も仕事をして過ごす人は、筋肉を動かなさ過ぎて、筋肉同士がくっついてしまうことがおこります。(癒着と言います) そのままでは正常ですが、年数が経った後五十肩といった肩をあげるだけで痛みが生じる症状がでてくるかもしれません。
普段から効果的なストレッチや筋肉の滑走を高めるトレーニングをすることで、未然に防ぐことができるでしょう。
ちなみに僕は4種類(時に5種類)のトレーニングを将来のために毎日やっています。遠い将来の前に、すでに歩行や走行、姿勢などに改善がみられています。
すべては無理ですが、病気や人の体の複雑性を知れば、少しは未来につなげることができるかもしれません。
計12回にわたって、僕が感じる医業での技術的な限界と、僕が実際やっている解決の試みについてふれました。何の根拠もない記事を最後まで読んでくれてありがとう。