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25歳、母親になって気づいた母の偉大さ。

私が小さかった頃の写真を、ふと眺めてみた。

子ども3人と、お母さんが写っている。

家族5人で過ごす時間って、ほんとに過ぎてしまえばあっという間で、なんだか切ない。

私は3人兄弟の中で、一番手のかかる娘だった。

欲しいものがあれば
買ってくれるまで諦めなかったり、

親の相談なしに海外留学の面接を受けたり、

必死に勉強して合格した大学の授業がつまらないからと、大学を退学したり、

自分の身体を大切にできず、男に依存してしまい、母親を泣かせてしまったり、、、と。

挙げるときりがないほど、手の焼ける娘なのだ。(おそらく今でもそれは変わっていない。)

そんな私が社内恋愛を経て、授かり婚をしたのだが...

正直、私には1人の息子の人生にプラスになるような母親になれる自信がない。

何でもかんでも中途半端で、料理もしたくない日はサボっちゃうし、旦那に弁当を作るのだってサボっちゃうし、息子にどんな話し方をすれば、息子が言葉を話せるようになるのだろう?って分からなくなるし。

その反面、私の母親はどんなにキツくても、毎日弁当を持たせてくれた。(子ども3人分+父親)飲み物が欲しいと言えばサッと持ってきてくれた。迎えにきて欲しいと言えば、すぐに飛んできてくれた。看護師だったので、体調が悪くなったらすぐにこうしたら治ると助けてくれた。お金に不自由なく生活できるように必死に働いてくれた。家事は仕事をしながら父親の手伝い一切なく1人でやってくれていた。etc...

振り返れば、振り返るほど母親に頼って生きてきたんだな。と涙がこぼれおちる。

なぜ私はあの時、こうできなかったんだろう?
という後悔と、迷惑をかけてしまったという罪悪感で押しつぶされそうになる。

それでも今でも育児のサポートをしてくれている。

私が1人でやるからいいよ。と言っても1人でやったら大変でしょう。といって毎日私が夜ご飯を作る時間から息子をお風呂に入れる時間までお家に来てくれる。

私は逆に母親になにをしてあげられただろうか?

してもらったことの方がはるかに多くて、
早く恩返しをしないと!という気持ちが募る。


今できることは、美味しいものを作ってあげたり、お出かけに連れて行ったり、美味しそうなお店に誘ったり、、、とほんとに小さなことではあるけれど、

少しでも母親と笑い合う時間を増やしていけたらいいなと思っている。

産後は"命の尊さ"について改めて実感させられて、
今この瞬間を生きていることは"奇跡"なんだ。と再認識した。

そのため、今だからできること、今しかできないことに積極的に挑戦している。

前向きに明るいお母さんに、私はなりたい。

そして息子に偉大な母親と思われるような人に、私はなりたい。

おしまい。

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