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聞いてほしいこと(終わらない依存先が欲しい、ポリアモリー的な結婚観)
noteを頻繁に書くようになるのはあまりよくない傾向で、ずっとどこか物足りなくて、何かを満たそうとして書いている。ただ結局インプットがないのに、心はからっぽなのに、アウトプットをしているわけだから満たされるわけがない。ただその場しのぎにはなる。
依存先を増やさなければいけないと、常々思う。だから新しい音楽を聞いたり、映画を見たり、小説を読んだりしているけど、結局どれも好きになれなくて疎外感のようなもやもやを抱えるだけ。
色んなものを、あれも好きこれも好きとなれる人がうらやましい。私は何も好きになれない。干からびた感受性。
終わらない依存先が欲しい。
村上春樹の街とその不確かな壁をこの前読んだ。新作として出てからずっと読みたかったのだけど、読んでしまったら楽しみが終わってしまうからという理由でなかなか読めなかった。うっすらとでも依存していたかったのだと思う。
読みながら、終わらないで終わらないでとずっと思っていた。でもいつかは終わらせなければいけない。この本の中に出てくる街のように。そしてまた退屈な日常に戻ってくる。私が生きるべき場所はここなのだと言うように。
はじめて、これもまた村上春樹の世界の終わりとハードボイルドワンダーランドを読んだとき、私はその物語の中に出てくる街に行けたらどんなにいいだろうと思った。そして読んでからずっとその街は私の心の中にありつづけていた。
この二つの作品に出てくる街は同じもので、「街とその不確かな壁」は「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」リメイク?のような位置づけになっているらしい。村上春樹の作品に共通して言えることだと思うけど、いつかは街を出て、日常に戻らなければいけない。
終わらない依存先というのは、当たり前だけど存在しないのだと思う。以前は恋愛がそれなのだと思っていたけど、恋愛はどうやら簡単に終わってしまうらしい。そして別れた相手とは基本的にもう会わないと聞いて、なんてコスパの悪いことをみんなやっているんだろうって思った。
縛りつけられると苦しいから、ゆるくでいいので永遠に繋がっていて欲しい。
ただ誰かを自分の依存先に設定するのはすごく危険なことだとも思う。だってその人の気分次第で自分の気分まで決まってしまうから。例えばその人が私の知らないところで嫌なことがあって、私に対してそっけない態度を取ったとして、私に何ができるだろう。
自分の手の届かないところに、心の一部を置くのはやめたい。だから友達とか恋人のようなものを作るのを避けているのかもしれない。そしてSNSにこうして逃げているのだろう。でも結局SNSでも同じようなことをしている。ただ、そういうのってどうしようもないことでもある。
たかがいいねひとつで満たされるものがある。でもそれ以上を望んでしまうことはあるし、いいねすらも無くて満ち足りないと泣くこともある。
私にとってSNSは街なのだと思う。さっきから言ってる街というのはユートピア的な意味で使っていて、現実でない場所ということ。
話があっちこっちいって申し訳ないけど、最近結婚に少し魅力を感じている。まだ全然そんな年齢じゃないし、恋愛だってしたことないのに?って思うけど。
結婚は永遠を誓うものだと思う。恋愛とはそこが違う。恋愛の形ってすごく多様だと思うけど、結婚というは案外シンプルな気がする。永遠に一緒にいるためにどうしようかと考えるのが結婚だと思う。恋愛は別れる可能性がある分かなり複雑。
早々に自分の人生を決めてしまいたいなと思う。人生のことを考えるのってめんどくさいから、さっさと決めてしまいたい。私はあなたと一生、生きていきますって。そしたら逆算的にすべてが決まっていく気がする。たぶん私は性格的に後悔とかあんまりしないんじゃないかなと思ってる。別に恋愛に憧れもそんなにないし。
一人より二人、もしくは三人の方が生きやすいんじゃないだろうか。なんとなく三人と言ってみたけど、二人よりも私は三人くらいで生きていきたい。一人の人間を私一人で背負える筋力はないし、逆もそうだと思う。
ポリアモリー的な考え方なのかな。初めてその言葉を見たときいいなと思ったのを覚えてる。ただ一人の相手を見つけることもできないのに、二人目を見つけなきゃいけないなんて無理そう。
マシュマロ
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