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灯台下暗し。私の敵は私の中に。

生きづらさを自覚してから生きづらくなった気がする。それまではそれが当たり前だったから何とも思わなかった。話に共感できないな、理解してもらえないなと思うことはあったけど、そういうものだと思っていた。

ただ多くの人は他人の話に共感でき、自分の話に共感してもらえるらしいということを最近知った。また会話の多くは共感で成り立っているということを知り酷く驚いた。共感が一体何を生むのだろうと思っていた。

普通を知ってから生きづらくなったと感じている。何も知らなければハッピーに暮らしていけたのかもしれない。でも何も知らないころには戻れない。私が何かを変えていくしかない。

気づいたことがある。私をいちばん傷つけることができるのは私自身だということ。私が言われて嫌なことは私がいちばんよく知っている。私より私を傷つけることができる人がいるだろうか?

灯台下暗し。私の敵は私の中に。

弱気になっているとき、強気になっているとき、どんなときも私に嫌な言葉を投げかけてきたのは私だった。

それ意味ある?私はダメだ。私が嫌いだ。誰が私のことを好きになるの?自分が愛されたいだけでしょ?また逃げるの?

ようやくそれに気づくことができた。主語が「私」だから気づけなかった。あたかも「私」自身の言葉かのように思ってしまった。

私はいろいろと考えすぎなのだ。だから敵に言葉を発する機会を与えてしまう。noteを休憩していた期間に少し生きやすく感じたのはそのためだろうか。

敵の言葉に耳を貸してはいけない。影からかけられる言葉に振り向いてはいけない。剣を持ち、切りつけてやれ。前を向いてひたすら堂々と歩いて行け。

しかし私にそんなことができるだろうか?

耳を貸してはいけない。

マシュマロ


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