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忍辱 第八場

■第八場
 前場の翌日。昼過ぎ、外は弱い雨。基本セット。
粟田家のテーブルには粟田夫妻と手塚。少し離れたところの椅子に吹美果。その隣に車椅子の哲修。家の外では、衣川が傘を差して立っている。
 手塚は町内会でのいきさつを話した。吹美果と哲修の反応が気になって、時々見る。唐玄は深刻な顔で腕組み。絹代は夫を気遣いながら、不安な表情。哲修は呆然とした表情。吹美果はちらりちらりと父親を見ながら、哲修の様子も気にしている。
 井上家では、愛実と彩未と静香がソファに座っている。学校関係の書類・プリントが、休校中の愛実のために並べられている。
彩未 「隣の人が犯人!? 」
 愛実は静かにするようにジェスチャー。彩未も自分の口を手で押さえる。
静香 「よくまあそれで平気でいられるね。怖くないの? 」
愛実 「怖いよ。町の人があいつを監視してくれることになったけど、‥逆恨み、されるかもしれないし。」
 逆恨み、という自分の言葉に反応し、おびえる愛実。
愛実 「いっそ、死んでほしい。誰かがあいつを殺してくれたらいいのに。」
静香 「‥わかる、わかるよ。恐くてたまらないよね。大丈夫。すぐ、警察が捕まえてくれるからね。」
彩未 「‥ってか、愛実? あいつが犯人です、ってちゃんと警察に言った? 」
愛実 「言ったよ。でも警察逮捕してくんないの。」
彩未 「ええー? 何それ? 警察って、‥不思議なところだね? 」
静香 「ちゃんと、犯人の顔、見たんだよね? 」
 愛実は黙る。
彩未 「ん? おーい、愛実さん? 」
愛実 「背格好はそっくりだったの! まるでシルエット! 間違いないよ。」
 静香と彩未は脱力。
静香 「見てないのね。」
彩未 「そりゃ逮捕できんわ。」
愛実 「だってあいつフード被ってたもん。誰も顔見えないよ。永久に捕まんないじゃんそれじゃ! 」
静香 「愛実、落ち着いて。」
愛実 「犯人がこわい! 早くあいつを捕まえて! 」
静香 「愛実、わたしたちも犯人が早く捕まってほしいよ。‥でもその人を犯人って決めつけるのは、ちょっと、もしその人が犯人じゃない‥。」
愛実 「捕まえて。‥お願い。」
静香 「愛実どうしたのよ? ‥まあ仕方ないかもだけど、‥犯人って決めつけられる人のことも考えなきゃ。ね? 」
愛実 「‥わたしのお願い、ちゃんと聞いてよ。」
彩未 「あー、もうこいつ、面倒くせえ。」
 静香は怖い顔で彩未を見る。
静香 「彩未。」
愛実 「もういいよ帰って。‥帰って。 」
 静香は呆然とする。怒った彩未は帰り支度。
彩未 「せっかく来てやったのに。‥仰せの通り帰らせていただくね。もう当分来ないから! 」
 部屋を出ていく。静香も少し迷ったが、彩未を追いかけるように出ていく。
手塚 「町内会でのことは、だいたい以上なんですが、‥やっぱり子供さんにはお聞かせしなかった方がよかったのではないですか? 」
 手塚はまたチラチラと子供達を見る。
唐玄 「‥いいのです。子供と言っても、もう哲修は16で、吹美果は大学生ですから。」
哲修 「‥俺、ちょっと部屋に下がります。失礼します。」
 車椅子を動かす哲修、弟が心配で付き添う吹美果。唐玄は哲修を心配の目で見る。
手塚 「それにしても、ひどい光景でした。まるで集団ヒステリーです。みんな犯罪者が怖い。不安でたまらない。でも、不安って結局自分の心が生み出すものなんです。だから自分の心の中で処理するしかない。‥他人を攻撃して、自分の不安を埋めてしまうなんて、ただのエゴだ! 」
 哲修は去り際にその言葉を聞いて、思わず車椅子を止めるが、何も言わず、車椅子を再び動かす。居間を出る。
唐玄 「人はみな、何かに苦しんでいるものです。」
手塚 「率直に聞くことを許していただきたい。あなたは、犯罪には関わってないですよね? 」
唐玄 「もちろんです。」
手塚 「それを証明できる人はいますか? 本当に不躾な問いで申し訳ないですが。」
唐玄 「両方ともその時間は家族といたと思いますが、‥証拠としては弱いでしょうね。」
手塚 「でも、どうでしょう? 井上さんと会長さんに、自分は無実だと主張されてみれば? むろんわたしも同行いたします。」
 唐玄は、厳しい顔で考えるが、やがて手塚の目を見て、微笑みながら、首を横に振る。
手塚 「どうして!? 」
唐玄 「わたしは、‥ことを荒立てることを好みません。‥確かに監視されるのはいい気分ではないですが、これも忍辱の一つだと思うことにします。」
手塚 「にんにく? 」
唐玄 「どんな苦しみにも耐え忍び、おごりたかぶらない。もとは仏教の教えで、わたしの信仰の中にもあります。‥なに、犯人はすぐ捕まるでしょう。監視もそのときには終わります。わたしが少し忍べばいいのです。」
 手塚は残念そうに首を横に振る。
手塚 「粟田さん、人の心は恐ろしいですよ。どこにでもいる普通の善人がある日突然悪に豹変する。‥今はただ見張るだけだと、穏便なこと言ってますが、彼らの不安がどんどん大きくなると、あなたの身に何が起こるか、わかったものではない。」
唐玄 「町の人が、集団でこの家を襲ってくるとでも? 」
手塚 「条件が揃えば、そういうことも起こり得ます。過去の歴史にもある。そして人間はその時から少しも進歩していない。」
絹代 「手塚さん、私どものために色々お気遣いいただきありがとうございます。でも、どうぞ主人の言う通りにしてやってください。‥わたし達は引っ越してきたばかりの余所者。町の人が不安な目で見ることは、やりきれないですけど、‥しばらくの我慢だと思うことにします。」
 双方沈黙。やがて手塚がゆっくりと立って一礼。
手塚 「今日はこれで帰ります。何か困ったことが起きたら、遠慮なくわたしを頼ってください。」
 唐玄と絹代は一礼。
唐玄 「ありがとうございます。」
 手塚は、栗田家の玄関を出て、衣川がいることに驚く。
手塚 「先に帰れ、って言ったのに。」
衣川 「どうなったか、気になって。」
 二人は並んで歩きながら話す。
手塚 「‥粟田さん、監視を受け入れるんだってさ。宗教家だから、無理してるだけなんだろうな。苦行でもやってるつもりなんだ。」
衣川 「‥ねえ、粟田さんが犯人という確証はあるのか?って、健ちゃんは町の人にそう言ったけど、‥逆に健ちゃんは、粟田さんが犯人じゃない確証って、あるの? 」
 手塚は足を止め、びっくりした表情で衣川を見る。衣川も足を止める。
手塚 「‥おまえ、‥粟田さんが犯人だと思ってるの? ありえないよ。だって、‥監視されるんだぞ? 誰が好んでそんなことされるか? 」
衣川 「そこは、いくらでも考えれるんじゃないかな。例えば、‥犯人が精神を病んでしまっていて、衝動的に人を襲ってしまう。そんな自分を止めてほしい、とか? 」
手塚 「それは、‥仮定が多すぎるよ。粟田さん、病んでるようには見えないし。」
衣川 「病んでる人って、無理してそれを隠すものよ。‥結局それで余計に病んじゃうんだけどね。まあ、人のこと言えないけど。」
手塚 「だいいち、そんな病んでるなら、自首するか、病院に行くかしてるだろ? 」
衣川 「それで治ればそうするんだけどねえ。」
手塚 「ちょっとびっくりだな。おまえまで粟田さんのこと、犯人だと思ってるなんて。」
衣川 「それは違う。さっきのは例えばの話。‥粟田さんのことは、どうだっていい。‥わたしが心配なのは健ちゃんだけで、少し冷静になってほしいだけ。物事は色々な見方や、考え方があるから。」
手塚 「うん、‥わかったよ。‥こんな雨の日に待たせてごめんな。もうこのことでお前巻き込まないから。」
 早足で歩きだす手塚、それを追う衣川(両者退場)
 哲修が自分の部屋でスマホ通話。相手先の愛実もスマホを取っている。
愛実 「‥襲われた時のこと、怖いの我慢して何度も思い出したんだけど、‥わたしが思ってることは変わらない。」
哲修 「‥うん。」
愛実 「で、でも哲ちゃんは哲ちゃん。親がどうとか、関係ないよ! 」
哲修 「愛実さん、‥無理しなくていいよ。‥自分を襲った人の息子だよ。本当に信じれるの? 」
愛実 「‥哲ちゃんのお父さんは、哲ちゃんが思ってる人じゃない。‥ずっと一緒に住んでても、家族でも、見えないところってあるんだよ。」
哲修 「‥何かあったの? 」
愛実 「お母さんがね。すっかり変わっちゃった。いつも疲れたような、怒ったような顔してて、わたしのことにすごく干渉してくる。学校どころか、外出もさせてもらえない。ちょっと新聞取りに玄関出ただけでもすごく怒られるの。‥わたしを守るためにやってることなんだろうけど、守られてる感じがしない。‥お母さんは、自分を守っているようにしか見えない。」
哲修 「また愛実さんが襲われたらどうしよう? お母さんはそんな不安な気持ちでいっぱいなんだよ。人は不安な心を、何かで埋めようとするんだってさ。」
愛実 「じゃあ、わたしも、変わっちゃったのかな? 」
 哲修は無言。若干の間。
愛実 「わたしは違う。何度もあのときのこと思い出した、冷静に、何度も、でも‥。」
哲修 「わかった。‥今の愛実さんが思ってること、俺はしっかり受け止めるよ。でも、‥俺は、やっぱり、父を守る。‥でないと俺は。」
愛実 「せっかく、仲良くなれたのに。もっともっと仲良くなれるはずだったのに。」
 愛実の方から通話を切る。哲修はしばらく落胆して下を向くが。やがて顔を上げて決然とした表情になって、一旦退場。愛実は弱々しくうなだれている。
愛実 「わたしの周りから人がどんどん離れていく。どうして? こんなの変だ。」
 まだ唐玄と絹代はテーブルに座っている。
唐玄 「絹代、またしばらく実家に帰っていてくれ。子供たちを連れて。」
絹代 「‥あなたをここに置いていく? それは、‥それは、子供たちの意思も聞かないと。」
唐玄 「頼むよ。今度こそ家族を守りたいんだ。」
 そこに、吹美香が居間に入る。
吹美香 「わたし、今度は実家になんて行かないからね。わたし、お父さんから離れない。自分の目で確かめたい。」
 吹美香は、父を睨む。気まずそうに目をそらす唐玄。
絹代 「確かめる? 何を? 」
 哲修が居間に入る。
哲修 「俺もここにいる。‥離れちゃいけない気がするんだ。お父さんから、そして愛実さんからも。‥人から守られるばかりだった俺に、守る使命ができた。‥絶対に逃げない。」
唐玄 「哲修。お前が傷つく姿を見るのは、耐えられない。‥頼むから実家に行ってくれ。」
哲修 「俺はもう子供じゃないんでしょ。自分のことは、自分で決める。」

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