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【読書記録】82年生まれ、キム・ジヨン

おすすめ度 ★★★★★

タイトルだけは知っていた。小説なのかノンフィクションなのか、エッセイなのかも知らずに読みはじめて、のめりこんで一気に読んでしまった。


韓国を始め、世界のフェミニズム運動のきっかけになるほどの作品だったので、さぞかし酷い男女差別が描かれているだろうと思っていた。
確かに、それもある。
キム・ジヨンの祖母と母の話は、ほんっっっとうに胸糞悪くなるほど男女差別が酷い。

祖母は4人の男の子を育て、働き、家事も一人でやった。夫は何も、本当に何一つしない。それでも祖母は「男を4人も産んだから、息子が用意した布団やご飯で幸せに暮らせている」という。
しかし、布団もご飯も用意したのは息子ではなく、息子の嫁(母)だ。
その母は2人続けて女の子を産んだことで、泣いて義母に謝り、
大丈夫、次は男の子を産めばいい」と慰め(!)られる。
3人めも女の子らしいとわかり、泣き尽くして夫に話すと「やめろ縁起でもない」と言われる(!!)。結局母は3人目の女の子を堕胎する。
そして4人目に生まれた男の子を、徹底的に甘やかし、優遇する。

私はキム・ジヨンと同年代だが、母も祖母もそこまでの扱いは受けていないので、国による違いはあるだろう。
日本にも似たようなことはあったと聞くし、今でも田舎では男子が生まれると喜ばれると聞いたことはある。
当時の韓国女性の不遇を思うと、憤りを通り越して「なんで??」と思う。合理性は何一つない。本当に酷い。

ただ、キム・ジヨンの時代になると、かなり共感性が高い。
小学生の時、意地悪をしてきた男子に「あの子は君のことが好きだからそういうことをしちゃうんだよ」と解決させられそうになる。
大学のサークルで重要な仕事がしたいと言うと「大変だから男がやってるんだ。サークルの華であってくれればいいんだよ」と受け流される。
つきまといにあって怯えていたら、父から「なんで勘違いさせることをしたんだ、お前が悪い」と叱られる。
大人になり、母親になると途端に狭まる再就職先。
都合よく使われる「やっぱりお母さんじゃなきゃ」。

時代とともに、制度や法律は変わっていくが、人々の価値観は簡単に変わらない。
恋人や夫も、みな基本的に理解がある男性だが、言葉の端々に古い価値観が垣間見える。
真っ向から「酷い」といえない、でもジワジワと首を絞められるような表現が絶妙で、キム・ジヨンは心を削られていく。


読みながら、自分の過去を思い出してしまう。
仕事で成功したら「君が男だったらなぁ」と言われたこと。
0歳で保育園にあずけるのを「可哀想に」と言われたこと。

いくらでも思い出せる。おそらく他の女性も同じじゃなかろうか。
怒っていいのか、流すべきなのか、わからないような小さな棘が、あちこちから突き刺さる日々。わかる、わかるぞ、と思いながら一気読みした。


一方で、この状態は男性にとってもマイナスがあると感じる。
男女の偏りを作ることで、男は経済的・肉体的負担を強いられる。これまた不条理な「男らしさ」を求められることも多そうだ。
実際に一部の男性は、「逆差別」を主張することがある。

この前読んだ「これからの男の子たちへ」にも通じている。

男女差別は誰にとっても幸せじゃない、不条理なことばかりだ。
でも、みんなが納得する「平等」を作るのは難しいとも思う。
どこに差を感じるか、何を幸せだと感じるかが、男女で二分できるほど単純ではなく、一人ひとり違うからだ。

本編のあとには、数十ページに渡ってあとがきが書かれている。著者、翻訳者、解説者、それぞれのメッセージがまた切実で、胸を打つ。

こうなればいい、という明確な形が示されているわけではない。
だけど、一人ひとりが考えて、スルーせず、理不尽なら訴えて。
一歩ずつ社会をかえていくしかないという強い意志を感じた。

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