【読書記録】私を救ったオットー・ヴァイト: ナチスとたたかった真実の記録
おすすめ度 ★★★☆☆
以前読んだ「わたしで最後にして」で知ったオットー・ヴァイドさんの話。
ヴァイトさんに助けられた方の自伝的な物語で、主観的過ぎず客観的すぎず、いい塩梅だった。児童書コーナーで見つけて借りたけど、中学生以上向けかな。
オットー・ヴァイトは、ナチス独裁の時代に、自らも視覚障害者でありながら、障害者雇用を続け、ゲシュタポともうまく渡り合ってきた。最終的には多くの人が犠牲になってしまうのだけど、少しでも救済されるように奮闘し続けた人。
「わたしで最後に〜」で何をした人かは語られていたが、どこか教科書的で、偉人ということしかわからなかった。
何をどうしたらあの時代に障害者雇用なんてできたのか、うまく渡り合っていけたのか、生き方を知りたかった。
*
果たして正解は、賄賂だった。身も蓋もない言い方だけど、ヴァイトさんはとても戦略的なビジネスマンでもあったのだ。
障害者雇用をしていた工場はブラシやほうきを作って、軍や警察に納品していた。
表向きは「なんの役にも立たないならずもののユダヤ人や障害者」をなんとか労働者として使ってやっている体にしていたのだ。
ゲシュタポが視察に来る時のために見張りを立てて、来た時だけユダヤ人に酷い扱いをしてゲシュタポを満足させる。普段は、秘書や会計など責任ある仕事を任せ、人として尊重する。さらに他のビジネスでも人脈を作り、情報をいち早く仕入れる、など読んでいて痛快なほど、当局をうまく欺いている。
かっこいいぜヴァイトさん!
一方で完全に聖人でもなく、神経質で怒りっぽい性格も描かれている。当時の従業員にとって、ヴァイトさんは父親のようでもあり、唯一の救いでもあったからひどく叱られて、見放されたら…と従業員が恐怖を感じるシーンもある。(決して見放したりはしないのだけど)
そういう綺麗事だけではない一面が見えると、むしろ親近感が湧く。
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最近、ナチスドイツや大日本帝国時代の本をよく読む。
今の社会情勢に顧みて、当時の社会や人々の気持ちを知りたくなるのだと思う。
なぜ、当時の人々が誤った主張を信じてしまったのか。
今思うと愚かとしか思えない言動をとってしまったのか。
差別や迫害に加担したり、黙認したりしたのか。
今の私は、大丈夫だろうか?
見えないふりをしていないだろうか。
無意識に差別的な感情を育てていないか、子どもに伝えていないか。
政治がおかしいと思ったときに、「おかしい」と言えるか。
言えない雰囲気はないか。
過去を別物として愚かだと嘆くのは簡単なのに、今の自分を客観的に見るのは難しい。
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