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象徴天皇制とは何か?現代の天皇、未来へ向けた皇位継承について

日本の敗戦により、GHQの日本占領や戦犯裁判など、日本の歴史において未曽有の危機が訪れました。初めてGHQの最高司令官ダグラス・マッカーサーが昭和天皇と対面した際、昭和天皇は戦争に関する一切の責任は自分にあることと、日本には戦犯が一人もいないことを伝えます。また、国民の衣食住についてマッカーサーに援助を求めました。命乞いもせず、逃げることもなく、毅然とした姿勢でマッカーサーに対面しました。

現代の天皇と未来へ向けた皇位継承を中心にご紹介します。


現代の天皇

天皇と日本国憲法

マッカーサーはGHQが求める「民主化」を推進するために、当時の幣原内閣に対して日本国憲法制定に大きな影響力を行使しました。そして、大日本帝国憲法の改正により、日本国憲法が誕生しました。その内容は、帝国憲法と比べると異質なものでした。とはいえ、「国体護持」という点から見ると、国民主権が導入されても護持されているともいえます。

GHQが想定していた立憲君主制

GHQは、日本が立憲君主制の政治体制であったとは認識せず、天皇を中心に政治が行われ、戦争したと考えていました。GHQが考えていた天皇は、イギリス型の立憲君主制に基づいており、憲法第1条にある「象徴」は、「君臨すれども統治せず」を示すものでした。

また、「象徴」としての地位は国民の総意に基づくべきだとされ、憲法第1条が制定されました。

天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。

象徴の意味

現行憲法における「象徴」の解釈には、2つの見方があります。

日本国の象徴という立場

言い換えれば、立憲君主制における君主としての天皇の立場です。イギリスの立憲君主制を模範としており、国政に対する権能は持たないものの、影響力は持つというものです。つまり、すでに紹介した君主の3つの権利である「警告権」「被諮問権」「激励権」を通じて影響力を行使します。

日本国の象徴「に過ぎない」という立場

天皇機関説における俗流機関説としての天皇の立場です。天皇は、国政に対する権能だけでなく、君主の3つの権利も制限され、国民の傀儡となる状態です。これは東京大学の憲法学者宮澤俊義が憲法第4条第1項について次のように解釈していることから、想定されます。

天皇を、なんらの実質的な権力をもたず、ただ内閣の指示にしたがって機械的に「めくら判」をおすだけのロボット的存在にすることを意味する。

出典:宮沢俊義『コンメンタール全訂日本国憲法』(芦部信喜・補訂、日本評論社、1978)

イギリスの君主は「君臨すれども統治せず」であるのに対し、「ロボット的存在」の天皇は「君臨せず統治もせず」であり、すべて国民が決定したことにただ従う、いわば国民の傀儡天皇であることを意味します。

実際に芦田内閣の時、厳格な象徴天皇制を推進するために内奏廃止案がありました。しかし、昭和天皇が抵抗したため、首相による内奏は残されました。

天皇が考える象徴のあり方

天皇が考える象徴のあり方は、たびたび「おことば」や姿勢に見られます。天皇は国民と苦楽を共にし、国民の幸せを願いながら務めを果たすことを重視しています。

これは憲法第1条に規定されているからではなく、象徴としてのあり方が天皇の歴史に合致し、国と国民のために尽くすことが天皇の務めと信じているからです。天皇の活動は時代の変化によって変わることがあっても、天皇と国民の絆は過去から現代、そして未来にわたって変わらないものと考え、そのために務めを続けていくことを考えているでしょう。

もし天皇が国民の総意に基づかなければ、神武天皇以来の日本国は途切れてしまいます。制度上の問題はあるものの、天皇自身が国民との絆を最も重要視し、務めを果たせれば、憲法でどのように制限されていても、未来に続いていくと言えるでしょう。

平成の譲位

平成にの時代おける天皇の大きな出来事としては、譲位の実現が挙げられます平成以前の譲位は、江戸時代後期の光格天皇以来で、約200年ぶりの重要な出来事でした。

譲位の実現

平成28(2016)年8月8日に、平成の天皇によるビデオメッセージ(玉音放送)が発表されました。内容は、伝統に則った象徴としてのお務めをどのように継承していくのかというものです。

ここで言う「象徴」は、日本国憲法に基づくものではなく、歴史の中で培われてきた「象徴」の意味に捉えられます。これまでのように象徴の務めを果たすことが難しくなるのではないかと、国民に対して問いかけていました。また、摂政制度が存在するものの、摂政を置いて象徴の務めを果たすことは明確に否定されています。

国論が二分せず、政府も政争の具としないように慎重に対応しました。結果、天皇の譲位は一代限りの特例法として国会で成立しました。

「生前退位」と新儀

天皇の歴史を見れば「譲位」とされてきたが、政府の正式名称は「生前退位」としています。「生前退位」という表現について、平成28(2016)年10月20日の地久節(皇后誕生日)に、美智子皇后(当時)が「驚きと共に痛みを覚えた」と述べ、表現に違和感があることを示しました。

「譲位」は譲位する意思を示す表現であり、「退位」は譲位の意味と異なり、意思に基づかない場合もあります。また、譲位に際して新帝の践祚後に、元号が改められるはずが、新天皇による元号の公表は「違法ではないが、適当ではない」という内閣法制局の判断しました。また、「新天皇に公布させるために先送りした」となれば、改元手続きで天皇に配慮したことになるとして、改元の政令への署名は新帝に行わせない手続きが取られました。

また、譲位した天皇は「太上天皇」ではなく略称の「上皇」とされ、皇后は「皇太后」ではなく略称に「后」をつけた「上皇后」となり、秋篠宮は「皇太弟」ではなく一般名詞の「皇嗣」とされました。特に「上皇后」の名称は歴史上存在せず、今回新たに作られたいわば「新儀」となります。

未来に向けての皇位継承議論

譲位の特例法が国会で制定された際に、次の附帯決議がなされました。

政府は女性宮家の創設など安定的な皇位継承のための諸課題について、皇族減少の事情も踏まえて検討を行い、速やかに国会に報告する

安倍内閣で譲位が実現した後、菅内閣で有識者会議が設置され、皇位の安定継承のための検討が行われました。

「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」に関する有識者会議

平成29(2017)年6月の「天皇の退位等に関する皇室典範特例法案に対する附帯決議」により、いくつかの課題が示されました。これらの課題については、専門的知識を持つ有識者を集めて検討されます。

初回の開催は、令和3(2021)3月23日に始まり、第13回のは12月22日に終了しました。最後に開催された際に、報告書が出されています。菅内閣に会議が招集され、その後岸田内閣でまとまりました。

報告書の内容

有識者会議の報告では、皇位継承と皇族数の減少についての基本的な考え方が2つ示されています。

今上陛下から秋篠宮皇嗣殿下、次世代の悠仁親王殿下という皇位継承の流れをゆるがせにしてはならない。

悠仁親王が次世代の天皇であることは、皇位継承の順位から既に明らかです。そのため、悠仁親王を蔑ろにして具体的な議論を進めると、皇位継承が不安定化する恐れがあります。つまり、皇位継承の議論は、悠仁親王が次世代の天皇であることが前提です。その前提に基づき、悠仁親王以外に皇族がまったくいないという事態を避けなければなりません。

皇位継承の問題と切り離して、皇族数の確保を図ることが喫緊の課題であり、その際、多様な世代の方が男女共に、悠仁親王殿下を支えるということが重要ではないか。

具体的方策として、次の1と2について今後具体的な制度の検討を進め、3については1と2で十分な皇族数を確保できない場合に検討することになります。

1. 内親王・女王が婚姻後も皇族の身分を保持することとすること

内親王や女王が皇族の身分を保持するには、女性宮家の創設が必要です。女性宮家とは、通常、内親王や女王が婚姻した場合に臣籍降下するところ、婚姻後も皇族の身分を保持することです。

今後、悠仁親王を支える皇族数の減少が予想されるため、女性宮家の創設が提案されています。これは、天皇や皇族の公的活動を継続するために望ましいとされる意見からです。

実際に女性宮家の先例として、桂宮淑子(すみこ)内親王が唯一、宮家の当主となった先例があります。淑子内親王は、他の皇族と婚約したものの、薨去したことで未亡人となり、桂宮を継承しました。女性宮家の創設を先例どおりにするか、または一般男性との婚姻も含めるかによってによって、配偶者や子供の扱いについて問題があります。

先例に基づくと、皇族の血筋でないものは、太皇太后・皇太后・皇后の三后(三宮)に准じた称号として<span style="color:red">准三宮(じゅさんぐう)</span>という名誉役職がありました。女性皇族は女性宮家の当主として皇族に残り、配偶者である一般男性やその子供には、准三宮宣下を行って准皇族とする方法も考えられるでしょう。

2. 皇族には認められていない養子縁組を可能とし、皇統に属する男系の男子を皇族とすること

現行の皇室典範では、皇族の養子縁組が認められていないため、皇室典範を改正して養子縁組を可能にする必要があります。養子縁組によって皇統に属する男系男子を皇族に加えることで、皇族数を増やすことができます。

具体的には、昭和22(1947)年10月にGHQによって臣籍降下させられた旧11宮家の皇族男子は、現行の日本国憲法や皇室典範の下で皇位継承資格を持っていたため、その男系男子の子孫が養子となることが考えられます。旧皇族の男系男子の子孫が養子となる場合、先例に基づいて皇籍復帰が行われる必要があります。もし天皇と直接の血縁関係にある直宮家の場合、皇籍復帰後には親王宣下が必要となるでしょう。

3. 皇統に属する男系の男子を法律により直接皇族とすること

GHQによって臣籍降下させられた旧11宮家の皇族男子のうち子孫で男子がいる者が対象となるでしょう。婚姻や養子縁組ではなく、直接的な方法で皇籍復帰させることになります。

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