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「パクチー食べられる?」と私に聞いた店員さん

もう過去の投稿でも何度か書いているのですが、私は数ヶ月前に大学をしばらく休むことを決めました。

まだ、休むと決めたばかりで、先のことを考えられなかった頃に、大学の相談員の方に「今はとりあえず、自分の好きなように過ごしてみてね」と言われました。
その言葉のままに、数日後、私は一人暮らしをしているアパートから1番近いカフェに行ってみることにしました。

そのときの、ふらっと勢いで立ち寄ったカフェでのちょっとしたできごとが、当時の私はとても嬉しくて、今のお休みに入る前の「足を止めちゃって大丈夫なのかな」という休むことへの不安や罪悪感が減った1つのきっかけになりました。

今回は、そんなオチのない思い出話を書いてみます。
お時間ある方はぜひ。


ガパオライスの横のパクチー

そのカフェは、田んぼや民家に囲まれた中に一軒だけあった小さい建物でした。

私が一人暮らしをしている土地は田舎で、周辺ではあまり見かけないようなお店だったので、周りでも噂にはなっていて、大学の友達からも、行ったよ〜という話はちょこちょこ聞いていました。

でも、私自身は、大学でのこなさなければいけないことに一生懸命で、自分の少しの「気になる」に向き合うことができないでいました。

だから、大学を休むと決めたときに、「せっかくやることが何もなくなったんだから、何でもいいから行ってみよう」と思いました。開き直れるくらいには元気じゃないかと振り返ってみて思うのですが。笑 
多分、何日間も家にこもり続けていることに飽きたんだと思います。


そして、体力的にも天気的にも出かけられそうだなと思った日に、前情報も何もないまま、スマホの地図だけを見てそのお店まで向かいました。

1人でカフェに行く、ということ自体あまり慣れていなくて、その上初めて入るところだったので、それなりに緊張していました。

その日は休日でお客さんがたくさんいて、少し待ったあと、大きな窓が正面にある席に案内されました。自然が多い土地で、時期が初夏だったということもあって、そこからの景色も素敵でした。緑と青空でいっぱいの景色が最初に、今までの「追い詰めていないと安心できない」と思っていた私の肩の力を少しゆるめてくれました。


ちょっとしてから、物腰が柔らかくて、自分の父と同じくらいの年代の男性店員さんが注文を聞きにきました。

私は何となく気になったガパオライスを注文しました。

そのときに、店員さんが

「パクチー食べられる?」

と私にフランクな口調で尋ねました。

「あ、いやぁ、食べたことないんですけど…」

と困っていたら、

「そっか、じゃあ横につけておくから、食べられそうだったら食べてみて。残してもいいから。」

とにこやかに言ってくれました。

そして、店員さんは厨房の奥へ入っていきました。


店員さんとのどうでもいい会話

いや、多分これって接客として当たり前のことなんだろうし、私にはその人が本当に考えていることは分かりません。普通の、お客と店員です。

でも、なんか、マスクはしててもその人のふわあとした優しい空気感が伝わって、お店がすごく混んでいるときだったのにせかせかせずに、一人ひとりのお客さんが落ち着いて過ごせるように動いている気がしました。
上手く言えないのですが、どこか、ぽーんぽーんと浮くような幸せな空気を連れてる感じで。


ガパオライスが私の前に到着しました。店員さんの言った通り、パクチーは端にちょこんと添えられていました。不思議な味がしたけれど、パクチーは無事食べられて完食しました。おいしかったです。

食器を片付けに来てくれたのもその店員さんだったのですが、

「お、食べられた?」

「はい、大丈夫でした。おいしかったです。」

「そっかそっか、そりゃ良かった」

みたいな会話をしました。

その日の店員さんとの会話はこれで終わりです。

ほんとに、何度も言うのですが、お仕事だってことは分かっているんです。

ただ、その店員さんのちょっとの、ほんのちょっとの「お客と店員」じゃない「人と人」の会話をしてくれてる雰囲気が嬉しかったんです。普通のことだって流すこともできるんですけど、今でも嬉しくなっちゃうんですよね。

店員さんは仕事でやっているから、別にそんな風な会話をしなくても全然良いはずなんです。

でも、何となく楽しそうでぽーんぽーんとした空気感の店員さんが「どうでもいい」会話をしてくれた

当時は、一生懸命になにかを頑張っていないと不安で、何事からも逃げちゃだめだと思って、あれやこれやと全部全力でやろうといました。それが、気の抜ける素敵な景色の見える席で、店員さんとの気の抜ける一連のできごとのおかげで、「あら、楽しそうでいいじゃない」と、私までぽーんとした幸せをもらえました。

本当に小さな0.1歩だったけれど、残り少ない気力でそのカフェに行って、その店員さんと話せてよかったな、と思っています。

どうでもいい会話も、必死だけじゃない時間も、その人にとっての楽しさとか癒しなら、大事にしたっていいじゃない、と思えたから。

一人暮らしの大学生活が再開したらまた、「なんか幸せそうな店員さん」がいるカフェに行ってみたいと思います。


以上、オチのない、でも大切な思い出話でした。

最後まで読んでくださってありがとうございました。

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