お互い違う道を進んでいるんだろうな、という直感
私は大学で、大切だと思える友人に出会いました。
初っ端から重めの文章になっちゃってますが、お許しください。
あと、今回は、いつもより個人的な内容です。お時間ある方はぜひこの先も読んでいってください。
自分のほうが子供だった
その人とは、大変な課題があったときも、一緒に戦っているような感覚で、いわゆる「切磋琢磨」みたいな形で、お互いのがんばりを隣で見ながら「あの人もがんばってるから、もうちょっと踏ん張ろう」と進んでいました。
息抜きでカラオケに行ったり、大学の帰り道に「つかれたねえ」「そうだねえ」なんていう空っぽの会話をしながら歩くときも、その人は隣にいました。
なぜか、がんばりたいタイミング、休みたいタイミング、話のテンション、考えてることが重なる部分が多くて、それを共感し合って仲が深まった、という感じです。
なんか、気持ち悪い書き方になってたらすみません。
でも、実際ほんとにそんな感じで過ごしていました。これは信頼関係とも言えるし、依存してるとも言えるかもしれないです。
その人には、何だかどんなことを話しても「そうかそうか」と、とがめずにいてくれるような気がして、私が他の人には言いにくいことも相談できていました。過去形ばかりですが、別にもう友人じゃなくなった、というわけではないです。これからも、気兼ねなく楽しい時間を過ごせたらいいなと思ってます。
私にとっては、今でも、「出会えてよかったなあ」と思えるような人です。
でも、去年の年末ごろに、ある出来事があって、私とその人が一緒にすごす時間はぐっと少なくなりました。ここで何があったか説明すると長くなってしまうので、省略しますが、簡単に言うと「相手の周りの人間関係が変わった」のです。
正直、そのときはすごく寂しさがありました。あと怒りも少し。たまに時間がとれて話すこともあったけれど、会ったあとには、楽しかったな、という気持ちと同時に、ずっと小さな「モヤッ」が残り続けていました。
それがなんの引っかかりだったのか、当時は分かりませんでした。
振り返ってみると、相手が自分から離れていっていることに気付かないふりをしていたのかもしれない、自分の寂しさに「大丈夫」を上塗りしていたのかもしれない、と今は思っています。
私がいなくても楽しそうじゃん、とか、もっとわがまま言いたいのにな、とか、前は同じ方向を見てたはずなのに、とかとか。心の底では思ってました。
文字に起こすと、自分がすごく子どもっぽいことを考えてるのが分かってちょっと恥ずかしいです。でも、これが本心なので仕方ないですね。笑
「ただの友だちのことでそんなに重く考えなくても」とも思われそうですが、もうここは一旦おいておきます。私にとっては重要なことだったのです。
話を戻しますね。心の中ではそんな子どもっぽいことを思いながらも、私は「こっちはこっちでがんばるから大丈夫だよ」「いいよいいよ、私のことより自分のことを大事にしてね」と言って、わざと大人にふるまっていたところがあります。
そう言うと、その人は「やっぱりあなたは心強い」「どんどん成長してくよね」なんて言ってくれてたけれど、ほんとはそんな綺麗事は本音じゃありませんでした。だから、褒めてもらっても、また「モヤッ」が生まれる。もう心の中の「モヤッ」が、大量生産されてました。
当時は、「その人の相手をしてあげてる大人」な自分を作って、子どもの自分を覆い隠していました。
実際はその逆で、私はその人から離れる勇気もなくて(離れるっていうのは、縁を切るとかじゃなく、「それぞれで進んでいこうね」と思えること)、その人が離れていってることに気付くのも怖かった。私の方がずっと子どもだったのかもしれないと思います。
これが、少し前の自分を振り返って思ったことです。
久しぶりの連絡で感じた変化
休んでいる間に、そんなことを色々考えていたのですが、最近久しぶりにその人に連絡をする機会がありました。相手が誕生日だったので、「おめでとう」の連絡をしました。
その人の文面のテンションは、前と変わらずで、なにか衝撃的なことを言われたとかではありません。冷たい感じでもなく、大人になりきれないね〜なんて言いつつ、いたって普通に「ありがとう」の返信をくれました。
でもそのとき、なぜだか私は、その人がすごく遠くにいる気がして。私が実家にいるから物理的な距離がある、というのも理由の一つだとは思うのですが。それでも、やっぱりどうしても遠く感じて、自然と、もう今の自分とは違う方向を見ているんだろうな、と感じました。
根本的なことを言ってしまえば、人は、他の人と全く同じものを目指し続けられるわけはないし、歩んできた人生も経験も何もかも違うので、最初から同じ方向なんて見ていなかったのかもしれません。この人とは通じるものがあるな、というのは勘違いだったのかもしれません。
でも、当時は、「共に」という気持ちがあって、今まで誰と話していても感じなかったような身内同士のような関係性でした。今でも共通する部分はあるだろうし、その人にしか相談できないことがあると思います。
ただ、その気持ちとは裏腹に、相手からの返信を見たときに、前まで勝手に感じていた「共に進んでいる」という強い結託感というか、そういうものが私の中から不思議となくなってきていることを感じました。私にとってそれは大きな変化でした。
また一緒にがんばりたい、という感情よりも、
あなたはあなたで、私は私で、それぞれ進んでいこうね。それぞれで楽しく幸せに暮らしましょ。
という気持ちが先に出てきました。
相手の環境や気持ちが変わったから、というだけではなくて、わたし自身も、前まで目指していた道とか目標、大切にしたい部分ががらっと変わったということもあって、「きっと、もう共感でつながっていられる関係性ではなくなるだろうな」と、寂しいけどそう思いました。
もし、少し経って直接会ったら、また違うことを思って、今感じている距離感の遠さがなくなる、という可能性も十分あります。
そして、今の私が進みたい道、変化した価値観の話をしたら、その人は優しいから「いいと思う」って言ってくれるかもな、とも思います。
ほんとに対面したときに何を思うか、どんな距離感になるかなんてことは、さっぱり分かりません。「やっぱりお互い変わってないな」って思えたら、それはそれでいいと思ってます。曖昧な考え方なんですけど、人の気持ちはどんどん変わっていくものだと思うから。
それを理解した上で、それでも今、相手と自分の間に心の遠さを感じているのは、確かです。感じたことを無理に変えることはできません。だから、前と同じように話せたとしても、奥の奥では確かな変化があって、全く元通りの関係に戻ることはないと思っています。
私が感じた心の距離は、きっと「相手は相手で周りにあるもの、近くにいる人に囲まれて楽しみながら悩みながら生きていくだろうし、楽しく過ごせてたらいいな」という気持ちと、「私は私で、進みたい道が変わった、だから共感はし合えないかもしれないけれど、それでいい」と思えている証かなと思います。
それによって、以前あった、「相手が離れていくことへの怖さ」が小さくなっていることも感じています。ずっと近くにいた人が遠くに行くことには、まだ慣れることはないけれど。
寂しいですが、この曖昧な「直感」は、お互いがまた、前とは違う新しい、ちょうどいい距離感で関わっていくための、再構築のための変化だと思うから。
だから今は、その人とまた会うことを楽しみに、またくだらない話ができることを楽しみにしておきます。
長文駄文で読みにくくてすみません。
とても個人的な話をここまで読んでくださって、ありがとうございました。
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