【2年前の日記やさん】11月1日
2022年1月に頒布した『東京には大阪より16分はやく夜が来る日記』から、2年前の今日の日記を掲載します。
2021年11月1日(月)くもり 大阪・笹
今朝の話。社会へ出るために、ペタペタ顔にいろんなものを塗りつけていたとき、階下から「ありがとうございます~!」と母の声が聞こえる。下町の朝、玄関でどでかい声で感謝するタイミング、ある? 戻ってきた母から、話を聞いた。
母が玄関前にいたところ、通りすがりのおっさんが険しい顔をしてうちのどこかを指差している。怒られるのか! と身構えた(私の住んでいるところは、こういう場合真っ先に「怒られる!」「怒鳴られる!」が来る場所です)母であったが、そのおっさんは次いで「几帳面やなあ、他にこんなんしてる人おらんでぇ」と言ったそうである。表札の下の、積み重ねられた古新聞。母が綺麗にまとめたものだ。だから母はたいへん喜んで、大声でお礼を言ったというわけ。地べたのコミュニケーション、良い。几帳面やなあ、やって!
岸政彦・雨宮まみ『愛と欲望の雑談』を読了。ふたりの対談を収録した、一〇〇頁ほどの本だ。「コーヒーと一冊」というシリーズのナンバリング8。ミシマ社、いいなあ。こういうこともやってるんだ。岸が「おわりに」で述べているようにこの本は「他者を理解すること、信頼すること、そして愛することのまわりをぐるぐると巡っ」ていた。他者を理解する、信頼する、愛する。この並び、まさに近似。恋愛や、結婚や、家や、故郷について語っているが、全然湿っぽくないし、古くもない。
他人が生身の肉体を持ってそこにいると、想像し、認めること。そういうものが満ち満ちていた。たぶん、「ケア」に繋がる。
2021年11月1日(月)くもり 東京・音
夜、獣の幼馴染が家に来て、二人でV6最後のライブを生配信で観た。
隣に人がいたし、あんまり泣かなかった。ほろり、くらい。画面の向こうのV6も、あんまり泣いてなかったし。それで幼馴染が帰ったあと、お風呂の中で、ネットニュースなんかをながめながらまた、ほろりとちょっとだけ泣いた。
去り行く彼らがファンに残したメッセージは、「笑っていてね」だった。
彼らはアイドルだったから、ファンを、すなわち、むき出しの欲望を当然叶えてもらえるもんだと前面に出してくる人たちを、増やさざるを得なかった。狂えば狂うほどお金を払う人たちを、そして、もし彼らが解散でもしようものならいよいよ発狂し、こときれてしまいかねない人たちを、増やして、そのうえで、大切にせざるを得なかった。アイドルはファンと、そういう構造で「つながって」いる。
じゃあ、消えていくアイドルが、最後にファンにできることは何か? と考えると、「笑っていてね」というメッセージは、たしかに、ある種のけじめとして、かなり的を射ているんじゃないかと思う。
「笑っていてね」は、「あなたは、僕らがいない世界でも楽しく生きられるよ、実はね。知らんけど」(「知らんけど)の使い方あってる?)という意味なんじゃないか。彼らは最後にそう言って、彼らが彼らのために狂わせたファンの魔法を、解いてあげようとしたのかもしれない。だとしたら、けっこう誠実だなと思った。
最後のあいさつで、「V6の作品が消えることはない」と三宅くんは言っていた。それはその通り。私はこれからも、今までと同じように、何度も、彼らの動画を観るだろう。お気に入りの曲を聞いて、部屋の中で一人踊るだろう。これまでと違うのは、そのたびに少しだけ寂しくなるということだけど、でも、それでもなんだかんだ、私は笑って生きていくだろう。
ずいぶん、大げさな話になってしまったが、人生で初めて推しグループが解散したので、こうして書いてみたぞ……。
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