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ボタン

 先日、トイレの調子が悪く、変な音を出し始めたため、新しく買い換えることにした。
 20年と少しを共に過ごしたトイレだったが、特に情は湧かなかった。
 お気に入りのペンや、スポーツ用具など、壊したり、無くしたりすると悲しむものはあるが、何の気なしに使ってるものだと、何も思わないのだと、この時、知った。

「明日、夕方くらいに修理屋さん来るから」

 母からそう告げられた。
 20年と(以下略)のトイレは、レバーを回して流すものであり、便座は手動で上げるものであった。
 これが僕の中での"トイレの普通"だった。
 だから、新しくなったトイレには一週間経った今でも、まだ慣れずにいる。

 まず、トイレの扉を開けると、便座が勝手に上がる。
 これは慣れたものだが、深夜、トイレに行くと、そのことに気づかず、何度か体をビクッとさせられた。
 次にレバーではなく、ボタンで流すように変わった。加えて、便座を下ろすのも、ボタンに変わった。
 これが今でも慣れていない。
 用を済ませ、立ち上がると、振り返って便座を下げようとしてしまう。
 その度に、頭を手で抑えてしまう。

「どうして、毎回忘れてしまうんだ」

 それでも、そうなる日は、日に日に減っている。

 そんなある日だった。
 僕は毎回ウォシュレットをするのだが、ここで事が起きてしまった。
 別に取り返しのつかないことではないのだが、ウォシュレットのボタンと、流すボタンを間違えて押してしまったのだ。
 この時、僕は感じた。
 同じ場所に、同じ形のものが、複数も存在すると、人は判断を誤ることがあるということを。

 2回も流してしまったことを、リビングにいた家族に聞かれていたであろうと思い、僕は「そうじゃない。間違えたんだ」と背中で語りつつ、自分の部屋に向かった。

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