自分史上最高のディズニー映画「ソウルフルワールド」

「なにかおすすめの映画教えて」
と言われたら間違いなくこの映画をお勧めします。そのくらい好きで、何度も見返した映画です。

なにがいいのか。
一言で言うと、「終わり方」だと思います。
この映画は、途中で自分の夢が叶います。基本映画というのは、苦労があって最後の最後に夢が叶う。そんな物語が多いですが、ソウルフルワールドはそうではありません。

夢を叶えた先に何があるのか、そもそも夢はなんのためにあるのか、

当たり前の日常の大切さを思い直させてくれる本当に素晴らしい映画です。

制作の背景

今回は書きたい考察が多いので、最低限にとどめてます。

ピート・ドクター監督

モンスターズ・インク、インサイドヘッドを手がけた映画監督です。本作を作る上で、見たことのない魂の世界を作り上げた理由についてこう語っています。「僕は誰も見たことのない世界を想像して作り上げるのが好きなんだ。人は、映画を観るときに『こんなの、今までに見たことない』という脳を刺激されるような体験をしたいと思っている。」

本編の考察

考察と大々的な見出しになっていますが、1個人の感想みたいなもんです。

夢が叶う、あと一歩手前で

音楽で生計を立てていくと決め、あるバンドに出演が決まった主人公「ジョー・ガードナー」。その公演の日までに工事中のマンホールに落ち死んでしまいます、、、

夢が叶うと決まったその瞬間、人は油断するものです。自分にも同じような経験がありました。たいそうな夢ではないですが、、、

死の縁を彷徨うことで、魂の世界に誘われるジョーですが、この導入の仕方がまずすごくおもしろいと思いました。なぜこのタイミングなんだろう、このシーンから何を伝えたいんだろう。考えることは多いです笑

油断。
生きている中で、夢が叶うまでは気を緩めるなということを伝えたかったのか。

リアルな人生。
魂の世界で人間になりたくないソウル「22番」と出会います。時の流れに身を任せてありのまま生きてきたジョーだからこそ、22番は生きる覚悟が決まったのかもしれません。そことの対比を生み出したかった?

22番との引き合わせ。
ミュージシャンとして売れていく一歩手前=人生で今まで大きな成功をしたことがなく、これからその人生が花開いていく人物
と22番を引き合わせたかった?

あくまでも物語の導入。
どういう状況で22番と出会うのかが展開としては重要。それが前提にあるとしたら、3つめの案が1番近いのかもしれない。

多くの人の人生は、映画の主題になるような花々したものではない。じゃあそんな人生に価値はないのか。つまり、映画にできるようなとてつもない成功を収めるような人生でなければならないのか。それは全くもって違うと言い切りたい。

人によって生きる目的は違う。なんのために生きているのかすらわからない人が大半だろう。そんな中なにを目的に生きるか、その答えを教えてくれるように思う。「I gonna live every minutes of it.」

性格の偶然性

最近偶然性という概念が好きでよく使っているが、ここでは物語の中で偶然性について触れられている。

魂の世界にジョーが迷い込んだ際、1つ1つの新しい魂に性格が宿っていくシーンがある。ただ吟味されて性格が決まっていくのではなく、「あなたはあっちにいっておいでー」くらいの感覚で性格が宿る部屋に行き、自分の軸となる性格が決まるのである。

実際の自分に置き換えて考えてみたい。
生まれてくる時に自分で親を選ぶことはできない、国や地域も選ぶことはできない。そして性格の半分は遺伝で決まるという話もある。

親。国。遺伝。
これらは自分でコントロールできない、偶然性によって先天的に決まってくるものである。性格についてもそうであるといわんばかりの描写であった。

ただ、偶然決められた要素だけで人生は完結しないと考えたい。
自分は貧しい家庭に生まれたから一生貧しい暮らしをしなければならないわけではない。

努力すれば、という言い方はあまり好きではないが、生まれ持ったものを使ってどう生きるかを考えられるのが人間の良さだと思う。思考ができる点において人間は偉大だということを忘れてはいけない。

じゃあ自分はどう生きたいか、なんのために生きるのかを懸命に考えなければならないと思う。

まとめると環境に左右される要素も人にはある、が、それを超えていきたいなら目的を持って行動するしかないってことですね笑

夢が叶って感じる空虚感

一流のアーティストとの共演で夢を叶えたジョー。
その公演が終わった後、次はどうするのかという空虚感に襲われ22番の元へ帰ることになります。

なにかを叶えた後に待ち受ける空虚感。
似たようなことを感じる場面が自分にもあった。

営業マンとしてなんとかこの案件を受注しないといけない。自分なりに最大限尽くし案件受注に至った。
よし!と充実感に溢れる感情に満たされたが、わずか5分後には、じゃあ次どうするかを考えていた。

なにかを叶えること。
それ自体が目的のはずなのに、いざ達成してみると次はどうしていかないといけないんだろうという衝動に駆られる。

自分が一歩足を踏み入れたものには終わりがなく、1つ1つ何かを達成するために目的(=ゴール)を設定し突き進んでいく。一見終わりがない、果てなき荒野を突き進むイメージをもつかもしれない。いや実際にそのイメージをもった。

しかし、この映画がそれを変えてくれた。
1つ1つを達成するために行動しているんじゃない。

それを達成するための過程を楽しむために生きているのだと。

過程を楽しむために生きる

例えば、料理がうまくなりたいに対して、
・包丁の使い方を覚える
・火入れの仕方を覚える
・素材への知識を深める
などして1つ1ついろんな料理を作れるようになっていくとしよう。

・鰆のポワレ
・シャリアピンステーキ
・熊肉のメンチカツ
などなど1つ1つ作れる料理が増えていく。

やっている最中は、次はこの料理を美味しく作れるように頑張ろうと意気込んでやっていく。つまり
・鰆のポワレを美味しく作る=ゴール
という構図になる。
その後美味しく作れるようになったとする。そうすると空虚感に苛まれる。

そうではなく、達成したいゴールに向かう過程を楽しむのだ。
・鰆はどんなものを使うとおいしさが際立つのだろうか
・油はどんな種類のものを使うと素材を引き立たせてくれるのだろうか
など、ゴールに向かうまでには1つ1つの手段や思考がある。

それを楽しみながら階段を登っていくことこそが人生なのではないかと思わせてくれる。

まとめ

大人な映画、なのかはわからないが、人生の見方を変えてくれた映画であることは間違いない。本当に僕と関わった人には全員に見てほしい。

これを書きながら自分で作ったこのフレーズ。
「過程を楽しむために生きる」
なかなか気に入りました。なんのために生きているのかと聞かれたらまずはこれを答えようと思います。

そして絶対に追記していきます。まだまだ書きたいことがたくさん出てきそうだけど、今回はこの辺で。

背景知識を調べるのも大変。
自分が書きたいのは、この映画を見た上で自分がどう感じたか。そこを優先しつつ書きたいものを書き上げる時間にしたいと思う。




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