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イラスト名建築ぶらり旅 with 宮沢洋&ヘリテージビジネスラボ⑬

前庭整備で知るル・コルビュジエの魔法

今回の行き先
国立西洋美術館本館と前庭

近代建築の巨匠、ル・コルビュジエ(1887~1965年)の設計で1959年に完成した「国立西洋美術館」は、57年後の2016年に世界文化遺産に登録された。
正確に言うと、この年、国立西洋美術館本館および園地を含むル・コルビュジエの17の建築作品群が、「ル・コルビュジエの建築作品―近代建築運動への顕著な貢献―」として世界文化遺産に一括登録された。17の建築はフランス、スイス、ベルギー、ドイツ、アルゼンチン、インド、日本の7カ国に点在する。

筆者は建築の面白さを一般の人に伝える仕事をしているので、「国立西洋美術館って他の美術館と比べて何がすごいんですか?」と聞かれることがある。この質問はなかなか答えるのが難しい。「美術館として日本で一番評価が高いか」というと、たぶんそんなことはない。ここもいいが、素晴らしい美術館はほかにもたくさんある。ル・コルビュジエの建築の中で突出してすごいかというと、やはりそんなことはないと思う。

よく言われるのは、「ル・コルビュジエが提唱した無限成長美術館の考えを実践したものだから」というもの。「無限成長美術館」とは、建物の内部をうずまきような形にして、増築するときにはうずまきを伸ばしていけば「無限」に拡張できる、という考え方だ。

確かに、本館はそういう考え方で平面が構成されている。だが、本館の20年後に増築された「新館」は、うずまきの続きになっていない。新館を設計したのは、ル・コルビュジエの弟子の前川國男だ。弟子ですら「そんなふうに増築するのは無理」と考えたわけで、ル・コルビュジエの「無限成長」のコンセプトをことさら持ち上げる気持ちにもなれない。
 
なので、「何がすごい?」という質問には「ル・コルビュジエが設計した数少ない美術館だから」と答えていた。すると、質問した人は、目に見えてがっかりした表情になる。私が聞きたいのは、そんなことじゃない、と。
愚痴みたいな長い前振りで何を言いたいかというと、今回の取材で、この国立西洋美術館がどうすごいかが自分なりに説明できるようになったのである。

1年半の大工事で変わったのは…

今回、この連載で国立西洋美術館を取り上げるのは、案内役の西澤崇雄さんが所属する日建設計が「前庭リニューアル」の設計を担当したからだ。西澤さんの上司でもあるサスティナブルデザイン部の高野恭輔プリンシパルがプロジェクトの中心になった。
 
前述のとおり、世界文化遺産の対象は「国立西洋美術館本館および園地」だ。前庭も世界文化遺産なのである。その前庭のリニューアル工事は、2020年10月19日から2022年4月8日まで、施設を休館して行われた。1年半も休館するとはかなりの大工事。しかし、その内容はかつて聞いたことのない変わったものだった。

美術館の公式サイトにはこう説明されている。

当館の前庭は1959年の開館以来、美術館としての機能の向上を目的に、様々な改変が行われてきました。一方で、2016(平成28)年に本館と前庭を含む敷地全体がユネスコの世界文化遺産(「ル・コルビュジエの建築作品―近代建築運動への顕著な貢献―」)に登録された際に、ル・コルビュジエの設計による当初の前庭の設計意図が一部失われているという指摘がなされました。そのため、今回の工事では、地下にある企画展示室の屋上防水を更新する機会に、ル・コルビュジエの本来の設計意図が正しく伝わるように、前庭を本館開館時の姿に可能な限り戻すことといたしました。

国立西洋美術館公式HP:美術館の建築

補足すると、「企画展示室」は前庭の下(地下)にあり、ここはル・コルビュジエの設計ではなく、開館から約40年後の1997年につくられたもの。企画展示室の建設などによって、当初と違う姿になってしまっていた前庭を、防水層のリニューアル工事と併せて元に近い姿に戻そう、というのが今回の工事だ。で、どう変わったのか。再び公式サイトの説明に戻る。

本館開館時の正門は、上野公園の噴水広場に面した西側にありました。前庭は、植栽の少ない広いオープンスペースとなっており、外部との連続性を持たせるため、園路から彫刻や本館を見渡すことができる透過性のある柵で囲われていました。(中略)この度の前庭リニューアルでは、植栽を最小限とし、西側の門からのアプローチと開放的な柵、ロダンの彫刻《考える人》と《カレーの市民》の位置をできる限り当初の状態に戻しました。

国立西洋美術館公式HP:美術館の建築

イラストで描くとこういうことだ。

改修前にロダンの彫刻がどこにあったのか、私の貧弱な記憶力では正確に思い出せない。なので、それを聞いても「ふーん」くらいにしか思わなかったが、「植栽を最小限」に減らしたのはグッジョブだと思う。柵のデザインも当初に戻して、透過性が高まったので、敷地の外から敷地内が見えやすくなった。用がなくても入りたくなる。日本の公共施設は、植栽が伸びすぎて建物の魅力を減じているものが少なくないので、良い前例になるだろう。
 
再度、公式サイトの説明に戻る。今回の記事で注目したいのは、サラッと書かれたこの部分。

またル・コルビュジエが人体の寸法と黄金比をもとに考案した尺度である「モデュロール」で割りつけられた床の目地も、細部に渡って復原しました。

国立西洋美術館公式HP:美術館の建築

そうか、前庭のアミダくじみたいな目地割りは、「モデュロール」だったのか!
今回の改修では、「野帳」と呼ばれる施工時の記録帳を仔細に調べ、それぞれの目地の寸法を正確なモデュロールの数字に合わせた。

ル・コルビュジエが考案した「モデュロール」とは?

「モデュロールって何?」という声が聞こえてきそうだ。
 
ル・コルビュジエという建築家は、デザインの力もさることながら、設計のプロセスに“法則”を見いだし、それにキャッチーな言葉を当てる能力にたけていた。前述の「無限成長美術館」をはじめとして、「ドミノシステム」「近代建築五原則」「住宅は住むための機械である」など、現在も使われるル・コルビュジエ・ワードは多い。
 
「モデュロール」もその1つだ。モデュロールはフランス語で寸法を意味する「モデュール(module)」と「黄金比(section d'or)」を組み合わせた造語。ル・コルビュジエは、自身が考案した基準寸法システムをそう名付けた。
 
館内にて配布している世界遺産パンフレットの「モデュロール」の説明文が分かりやすかったので引用する。

ル・コルビュジエは人間の身体に沿った建築を目指して、世界中で使うことができる尺度である「モデュロール」を考案しました。男性の身長183cmと、へそまでの高さ113cmの比が黄金比1.618:1になることと、113cmの2倍で、この男性が手を伸ばした高さである226cmを基準として、2種類の尺度を作り出しました。このモデュロールの寸法を足したり、隣り合わせて使うことで建築に統一感やリズムが生まれます。

国立西洋美術館公式HP:世界遺産パンフレット

補足すると、寸法を分割あるいは拡大するために「フィボナッチ数列」を使っている。それを説明すると長くなるのでここでははしょるが、使う寸法は、以下の図のような数字となる。

全部覚えるのは大変なので、基準となる「226cm」と「183cm」だけでも覚えておくと、かなりの「ル・コルビュジエ通」だと思われるだろう。

実は極めて合理的だったモデュロール

筆者も「モデュロール」の考え方は知っていたし、限られた数字を使うことであるリズム感が生まれるのは分かる。だが、「なぜ身長183cmの人だけに合わせるの?」「手を伸ばした長さになんの意味が?」と、その効果についてはずっと疑問に思っていた。
しかし、案内してくれた福田京さん(国立西洋美術館専門員)からこんな話を聞いて、頭の中のもやもやに一条の光が差した。
 
「ル・コルビュジエが日本に送った十数枚の図面の中に、寸法が入ったものは1枚しかありませんでした」(福田さん)
 
えっ、どういうこと? 他の図面は寸法がなくて、どうやってつくるの? 図面に魔法をかけた?
日本側で設計をフォローしたのはル・コルビュジエの3人の弟子、前川國男、坂倉準三、吉阪隆正だ。弟子といえども、さすがに小さな図面から以心伝心で寸法は想像できまい。そう思ったのだが、福田さんのこの説明で、すべてに納得。
 
「図面の中の寸法はすべてモデュロールの数字なので、図面の縮尺が分かれば、図面を測ることで正確な数字が分かるのです」(福田さん)
 
なるほど! モデュロールには、そんな合理性があったのか!
かつて日本の木造建築は、「木割り」という寸法システムでつくられていた。柱の太さや柱間の距離を基準として、比例関係などによって各部の寸法をルール化したものだ。大工棟梁の家系では、木割りの秘伝書がつくられ、子孫に伝えられていた。だから何十枚も図面を描かなくても家を建てることができた。モデュロールはいわば、“ル・コルビュジエ版の木割り”だったのだ。

本館の中も外も前庭も、ほとんどモデュロール

実際、本館の外を見ても中を見ても、その寸法はほぼモデュロールの寸法だという。うーん、すべての部位の寸法を当てたくなる。

そして、それを知ると、前庭の目地割りも「何となく」ではなく、正確なモデュロールでなければならないという意味が分かる。それでこそ世界文化遺産。

そんなことが分かった今なら言える。この建築のすごさは、「ル・コルビュジエが遠いフランスにいながら、“ル・コルビュジエ版の木割り”によって緻密な空間を実現したこと」なのだ。建築に日本の魂が宿っているようにも思えてくる。

■建築概要
国立西洋美術館
所在地:東京都台東区上野公園7-7
<本館>
完成:1959年3月
階数:地下1階・地上3階
構造:鉄筋コンクリート造
設計:ル・コルビュジエ(Le Corbusier)
監理:坂倉準三、前川國男、吉阪隆正、文部省管理局教育施設部工営課(当時)
施工:清水建設
建築面積:1,587㎡
延べ面積:4,399㎡
<前庭改修>
施工期間:2021年4月~2022年3月
設計:日建設計、マヌ都市建築研究所
施工:清水建設
 
■利用案内
休館日:毎週月曜日 ※ただし、月曜日が祝日又は祝日の振替休日となる場合は開館し、翌平日が休館 ※年末年始(12月28日~翌年1月1日)その他、臨時に開館・休館することがあります
開館時間:9:30~17:30(金曜・土曜日9:30~20:00)※入館は閉館の30分前まで
常設展観覧料:一般500円(団体400円)、大学生250円(団体200円) 
※高校生以下及び18歳未満、65歳以上、心身に障害のある方及び付添者1名は無料(入館の際に学生証または年齢の確認できるもの、障害者手帳をご提示ください)
※団体は20名以上(要事前予約。詳細は公式サイトをご確認ください)
※企画展は別料金
交通:JR上野駅下車(公園口出口)徒歩1分、京成電鉄京成上野駅下車 徒歩7分、東京メトロ銀座線、日比谷線上野駅下車 徒歩8分
公式サイト https://www.nmwa.go.jp


取材・イラスト・文:宮沢洋(みやざわひろし)
画文家、編集者、BUNGA NET編集長
1967年東京生まれ。1990年早稲田大学政治経済学部卒業、日経BP社入社。建築専門誌「日経アーキテクチュア」編集部に配属。2016~19年、日経アーキテクチュア編集長。2020年4月から磯達雄とOffice Bungaを共同主宰。著書に「隈研吾建築図鑑」、「誰も知らない日建設計」、「昭和モダン建築巡礼」※、「プレモダン建築巡礼」※、「絶品・日本の歴史建築」※(※は磯達雄との共著)など


西澤 崇雄
日建設計エンジニアリング部門 サスティナブルデザイングループ ヘリテージビジネスラボ
アソシエイト ファシリティコンサルタント/博士(工学)
1992年、名古屋大学修士課程を経て、日建設計入社。専門は構造設計、耐震工学。
担当した構造設計建物に、愛知県庁本庁舎の免震レトロフィット、愛知県警本部の免震レトロフィットなどがあり、現在工事中の京都市本庁舎整備では、新築と免震レトロフィットが一体的に整備される複雑な建物の設計を担当している。歴史的価値の高い建物の免震レトロフィットに多く携わった経験を活かし、構造設計の実務を担当しながら、2016年よりヘリテージビジネスのチームを率いて活動を行っている。


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