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死にたかった日々を乗り越えられたのは“日韓の架け橋になりたい”という夢を思い出せたから。死にたくても良いから希望の光を手放すな。

アンニョン、日韓の架け橋のフジモンです。

「#それぞれの10年」の記事を出して早速チョアトモさんから反響がありまして嬉しい限りです。

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(例えばこのような感じでDMが結構届きました^^)

日韓なんでも同好会でのメディア発信を通して僕のことを知ってくださった方はすごく僕のことを過大評価してくれているのですが、
実際、等身大の僕は“どこにでもいる弱い人間である”ということを今日は話しつつ、
きっとかつての僕と同じように
「好きなことはあるけど人生がつまんない」
「何も上手くいかない死にたい」
「何をどうしたら良いのか分からない。なんとなく不安」
という人が多いと思うので、エールを贈りたいと思います。

約10年前と2年前の僕「本気で死にたかった」

10年前の僕はこのままの日常が続くわけでもないことに絶望し、
希望のない日々と思い通りにいかない現実に打ちのめされていました。

KARAやK-POPが好きであろうと、それはあくまで趣味でしかない。
まさに偶像を追いかけているだけ。

東日本大震災が起きる前年の2010年。
僕は猛烈な自殺願望に襲われていました。

それは会社生活が原因でした。
配属された職場でのパワハラ、暴力から人格否定まで、かなり熾烈を極め、会社の寮生活で同期ともそこまで仲良くなかった僕は周りに相談することもできませんでした。
就職するまで一度も働いたことがなく、社会経験がなかった僕、
さらには慣れない三交替勤務。
そんなこんなで就職して最初の夏、今まで経験したことのない度重なる熱中症や体調不良に襲われ、加えて交通事故(自損)まで起こしてしまい、高校卒業してたった半年の僕はすぐに折れてしまいました。
あまりにもひどい体調不良の連続だった僕は会社の健康相談室の看護師さんに連れられて病院に行きました。

そこで僕に突きつけられたのは「適応障害」
つまりは「うつ病のようなもの」でした。

会社の寮から実家へ戻り、家族にも心配されつつも「会社に早く行け」というプレッシャーもかけられ、この世界に居場所を無くしていたと言っても過言ではない状況でした。

特別何の生きがいもやりがいも夢もなかった僕は、
「このまま生きてても何も良いことなんて無いだろう。死んだら楽になれるのかな?」
と本気で思ってたわけです。

正常な人からすれば、ただ現実逃避してるだけでバカみたいな考えと言われるかもしれません。
ただ、希望がない人間っていうのはそういうことを平気で考えてしまうってことを僕は知っています。

そんな最中で起きたのが東日本大震災でした。

今はそう思ってないですし、当時の僕は間違ってました。

震災が起き、生活インフラも崩れ、水道も使えず、電気もつかない真っ暗な家の中で僕は”喜んでいました”

このまま世界が崩れてしまえば良い。
無くなっちゃえば良い。

厨二病臭いセリフですが、そんな考えがどこかにありました。

本当に今考えると愚かだったとは思いますが、その当時は本気でした。

ただ、そんな僕の考えとは真逆に、世界は復興していきます。
そして僕自身も約半年に及ぶ休職から復帰することになりました。

この時も両親の“会社行けプレッシャー”に負けたと言っても過言ではなく、
本当はずっと休んでいたかったほど、社会復帰が恐怖でしかありませんでした。

ただ、そんな一面とは別に新たな一面として僕にはKARAという生きがいがあり、その活動が支えとなっていたっていう点が休職前の僕とは違う部分でした。

そこからKARAオタ活によって活力を徐々に取り戻していった僕は、
前の記事でもお話した通り、
最終的には「日韓の架け橋になりたい」という夢を持つようになりました。

大きな決断においては親や周りの言うままに生きてきた僕が初めて親や周りの反対を押し切って会社を退職し、インターネットでビジネスをして生活を成り立たせようという道に踏み込むわけです。

(その過程はここで軽く話しています)

夢を見失い、また死にたくなっちゃった2年前(笑)

2016年クリスマスに会社を退職し、
2017年〜2019年夏までの約2年半。

「日韓の架け橋」になるためのステップとして
インターネットでお仕事をする世界に飛び込みました。
(今では当たり前に“リモート”という言葉が使われるようになりましたが、「場所関係なく仕事ができるインターネットの世界で仕事ができるようになれば、韓国にも住める」という考えです)

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しかし、膨大な仕事量と上の人の奴隷のようにYES-MANでいることに徹底しすぎるがあまり自分を見失ってしまった僕は、さらにはお金にも目が眩んでしまい、どん底に落ちてしまいます。

この時のことは今でも考えたくないと思うほどトラウマです。

情熱を失い、自分がやりたいと思ってるわけでもない仕事。
何千万円を越える赤字
困窮する生活

また10年前の暗い自分に戻ってしまった。
人と目を合わせることも苦痛。
頭には何も浮かんでこない。浮かぶのは「死」

しかし、身体は動かし続かないといけない。
もはや心と身体を切り離して、無の状態で働いていました。

親の反対を押し切って地元を飛び出た僕。
両親は離婚しているし、良好な関係でもない。
帰る場所もありません。
お金も友達も仲間も時間も…
色んなものを失った感覚でした。

そんな僕に一筋の希望となって差し込んできたのが
「日韓の架け橋」「韓国」だったんです。

この2年半、それまでは毎年のように行ってた韓国も行けなくなり、
忙しすぎて友人との連絡もまともに取れなくなってた僕。

もはや韓国語も結構忘れてたかもしれません。

夢の復活のキッカケはインフルエンサーのゆうこすさん。

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気力を取り戻したキッカケはジーンクエストという会社の社長であり研究者でもある高橋祥子さん。

それぞれのゼミを受講し、
ゆうこすさんからはSNSの運用術(本質)を学びました。

そのアウトプットとして立ち上げたアカウントが、
実は今の日韓なんでも同好会Instagramです。

高橋祥子さんからは人生を学んだと言っても過言ではありません。
テーマとしては「生命科学」を学びました。

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生命科学というテーマはものすごく人生と親和性が高く、
人間自身、僕自身の進化や生き方、考え方をすごく考えさせられました。

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その時の学びのアウトプットは僕の今とこれからの人生です。

僕はこのお二方に第3の人生をすくい上げてもらったわけです。
そして、会社でのお仕事を本業にやりつつも
日韓なんでも同好会での活動に力を入れていく中でヨチンちゃんと出会いました。

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ヨチンちゃんには僕の現状やこれまでを洗いざらい話しました。
そんなヨチンちゃんに今の仕事を辞めるように強く背中を押され、
僕は今まで抱えていた全てを投げ出し、捨て去り、

韓国一本で生きていくことを決めたのです。

こんな僕にも期待してくれる、手を差し伸べてくれる人たちのおかげもあり、そんな突拍子もない行動に踏み切ることができました。

そして、日韓なんでも同好会フジモンが手がけるサービス第一弾として、
2019年7月に韓国語モンザップを開講。
同七月に韓国へ移住。

韓国人ならではのスピーディーさに背中を蹴られ、超スピードで全てが目まぐるしく変化し、今があります。

生きてれば良いことはきっとある

何度も死にたいって思ったし、僕なりにどん底を経験しましたが、
それでも思うのは「生きてれば良いことはある」ということ。

今ではずっと連絡が出来なかった母親とも連絡できるようになりましたし、ビザ関係では遠くに住んでて対応が難しい僕の手助けもしてくれている。

A氏には韓国語講座モンザップや同好会の運営含め、ビジネス面でかなり助けられている。
(個人的に周りにモンザップのことも話してくれてたりするw)

ヨチンちゃんやその家族の方々は僕の人生そのものの支えです。

他にも韓国のお友達は僕の仕事や活動にすごく協力してくれるし、
今この記事を見てくれているチョアトモ(同好会フォロワーの名称)さんたちは僕を応援してくれている。
韓国語ができるのに韓国語講座モンザップに入ってくれてる人もいますw

結局、人が集まるも離れるも全ては自分次第。

そしてそんな人々に支えられ僕は生きている。

今ハッキリと言えるのは、

自分自身の選択や行動次第でいくらでも人生は始められるし、やり直せる。

ということ。

自分一人で抱えた荷物を一回下ろして考えてみると良いかもしれない。
誰かが持ってくれる物もあるかもしれないし、そもそも抱える必要が無いものもあるかもしれない。

きっと心や感情には限界があって、それを超えてしまうと自分を壊してしまう。

その許容量を広げてくれるのは夢や希望、人の存在だと思う。
その許容量が狭まることは無いけど、穴が空いちゃうことはあって、
それがうつ病とか適応障害などのような精神の病と呼ばれるものなんだろう。

じゃあなんで穴が空いちゃうのか?
自らその許容を超える量のものを抱えてしまうから。

その許容量を自分がどう扱うのか?
扱い方も許容量も人それぞれで異なる。

それがきっと、人それぞれの人生になっている。

みんなはみんなの人生を歩めば良いし、僕は僕の人生を歩む。

だけど、僕の人生で誰か他の人に良い影響を与えられたり、
誰かの許容量を満たしてあげられる、広げてあげられるんだとしたら、
そんな嬉しいことはない。

僕は何度も自分の許容量を超えて自分を壊してきた。
それによっていろんな人に迷惑もかけてきた。

その人たちに直接恩返しができるのかは分からないけど、
僕は僕で自分ができることをする中で、
同じような人を救えたら、、
と思うし、
僕と関わることで僕と同じクラスタにいる人たちの許容量を広げるお手伝いが出来たらと思う。

誰かにとって「生きてれば良いことある」の
”良いこと”が「フジモンや同好会と出会えたこと」と記されることを夢見て^^

どんな時でも希望は手放さないでね♪

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