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“偽善”という言葉を平気で口にするくせに、卑怯な民衆は今日も不満をぶつける相手を探している

アンニョン!日韓の架け橋のフジモンです!

インターネットは情報の流通量を圧倒的に増やし、
普通の一般庶民でも気軽に情報を手に入りやすくし、
時代が進むと共に情報の民主化は進んでいると思われている。

が、、

そう思ってるのは実は僕たちだけで、
結局発信側に受信者の思考は操られてたりするのかもしれない。

なぜこうも一つ一つの情報に

怒り、悲しみ、喜び、、、

感情を散漫した挙句、忘れてを繰り返しながらも大切な本質を見失ってくのだろうか?と思う。

誰かが不倫した→怒る、責める

誰かが強気の発言をした→言い方を責める

誰かが寄付した→偽善と揶揄する

誰かが死んだ→悲しむ

そして本質を見失い、意欲を失った人間は

その情報発信者サイドから“情弱”だったり“養分”だったり揶揄されるようになる。

僕もまた過去はそのように“情弱”だった。

そして発信者側に立ち、少しの成功を掴み、傲慢になってしまった時は、読者を揶揄していたこともあった。

しかし、再度どん底に落ち、自分自身を見直した時に「それではいけない」と気付き、今では読者とひたすらに向き合い、少しでも情報リテラシーを上げられるような発信を意識している。

「流されず、信念を持ち、行動し、見極める」

僕が伝えたいことは常にそこだ。

自分のプラスにならない情報を見るならエンタメとして

正直、人のスキャンダルなんて自分の人生にはなんの意味もない。

例えば、芸能人の不倫報道を見て何か学びはあるのだろうか?

「不倫は良くないな〜」
別にその情報で再確認するほどのものでもない
「バレないようにしなきゃな〜」
大丈夫,あんたは一般人だから世間は騒がない

どれだけ頭をひねってもこれといって特別得られるものがないのだ。

つまり、意味がない。

そんな意味がない情報を一日何度見る?どれくらいの時間見ている?

おそらく多くの人は、ネットニュースを見て、ワイドショーを見て、また違うネットニュースで見る。

繰り返しその情報をこすっては感情を揺れさせる。

そんななんのプラスもない情報を一度ならまだしも何度もこするのは
無駄が過ぎるというものだ。

ただ、そういう意義の少なさで言えば「エンタメ」も似たようなものだと思う。

ただ、エンタメは意味や意義ではなく、
人の心を「負→正」「正→正」にする力を持っている。

そういう面ではスキャンダル系とは全く真逆のエネルギーなわけだ。

そして、生きてると悩みや不安も多いもので、
色んな要因で精神的に「負」を抱えてしまうもの。

だからこそ、無意味を愛することも大事だと思うわけで、
そしてその行き先をただただ「負」を増大させるだけの無意味よりも「正」にもっていく手伝いをしてくれるエンタメを見た方がいいのではないかな?と思う。

その上で、

ネットリテラシー・情報リテラシーを上げるのは調査(研究)と行動のみ

残念ながら情報を漁る、誰かの話を見聞きするだけで情報リテラシーが上がることはない。

なぜならば、知識と経験を積まない限り見分ける目も判断力も身につかないからである。

例えば、会社に入社したばかりの平社員が部長や課長のような仕事はできない。
それは「この企画はGOなのかNOなのか」「この報告書の内容は良いのか悪いのか」
工場などの現場で言えば、新米オペレーターは職長と同じ仕事はできない。

意思決定や判断ができないからだ。

上司や重役などのリーダーに求められるものはたくさんあるが、その中に必ず入ってくる意思決定や判断力というのは、知識や経験に裏打ちされる。
(もちろんそれ以外にも要素はあるけれど)

それと情報リテラシーは非常に似ている。

つまり、情報リテラシーもまた、結局調査や研究、行動の結果によってもたらされる「知識と経験」が最も大事になってくるということだ。

情報遮断もまた一つの道

実際、何かに突き抜けようとする人ほど、
情報遮断していたり、情報を絞って「行動や活動に集中している」節がある。

基本的に本質的な情報や学びっていうのはネットニュースで流れてくるようなものよりも、人とのコミュニケーションだったり、行動の結果に対するフィードバックだったり、疑問が起きた時に調査する過程で得られることが圧倒的に多い。

ネットにある情報の8〜9割は今の自分には必要ないと思っていいと思ってて、

実際このネット世界では一日あたり44ZB(ゼタバイト)くらいのデータ量が流れてる感じらしい…

ちなみに1ゼタバイトはみんなが慣れ親しんでるGB(ギガバイト)に換算すると1兆GBくらいらしい

僕のiPhoneの容量が512GBなので、、、もはや果てしなさすぎる情報量が毎日更新されてるってこと。

そんな情報の海で自分の必要な情報とそうじゃない情報の区別もできていないようでは、ただただ情報に振り回されるだけの人間になってしまう。

フォロワー欲しさ、有名になりたいがためにモラルが完全に壊れた迷惑行為をSNSで自慢げに投稿するような人間が生まれるのも、現代人の情報リテラシーが、日々進化するネット世界、情報に追いついてないがためだと思っている。

ネット社会が普及してさらに増大しているのはスキャンダルや迷惑行動だけではなく、自殺などがある。

人が自殺したことを悲しむこと自体は悪いことじゃないし、その人の生前がそれだけ良いことをしてたからこそ悲しむ人が多いのもまた事実だと思う。

ただ、ご冥福をお祈る相手はインターネットでもフォロワーでもなく、
せめて本人や家族のはず。

言葉は厳しいかもしれないけれど、僕がこの記事の中で言ってきたことを理解すると、少なくともそこじゃないことに気付けるし、何が大事なのかを人それぞれ考えることができるはずだと思う。

皮肉なもので、ネットの悪口で自殺をする人もいれば、ネットで自殺を悲しむ人がいる。

じゃあ単純に考えると、

ネットの使い方・見方を変える、リテラシーを高めていくだけでも世界は変わりうるのだ。

誰も見てない、もしくはフォロワーしか見てない、
44ゼタバイトのネット情報の渦に埋もれるところに可能性も言葉も薄い
「ご冥福お祈り」よりも

効果的で、有意義で、自分にもできることはある。

そういうことを上記の本田さんのTweetもそうだけど、
インターネットでは再確認することもできるし、
こうして記事に出せばやれることもあるってことなのですん。

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