見出し画像

あれが私の花道だった?

私が専門学校生だった頃。
実習が長引いて、バイトの時間が迫っていた。

トイレに行きたいと思ったけれど、バイト先は徒歩で10分ほどだ。

ーバイト先で行けばいっか

私はそのまま急足でバイト先に向かった。
まだバイト開始から3、4日目だっただろうか。
都内某所、雑居ビルにある飲食店。
時給が高いのが魅力で応募したが
入店後の説明では1分でも遅刻するとペナルティーだという。
信号待ちさえ気が気ではない。
私は大急ぎでエレベーターに飛び乗った。
「ふー」
なんとか間に合いそうで、私はホッとして5階のボタンを押した。

ウイン

嫌な音がして、エレベーターが止まる。
庫内の電気も止まり、非常灯だけだ。
エレベーターの上を見ると、3階のようだ。
私は急いでボタンの横にある
電話のマーク、非常ボタンを押した。

「はい、〇〇システムです」
綺麗な女性に声がした。
「あの、エレベーターが止まってるんです」
「申し訳ございません。ビルが停電のようです。今原因を調べております。少しお待ちください」
品の良い落ち着いた応答にほっとした。

ー停電かぁ
エレベーターも止まるし、中の電気も消えるんだな
トイレに行っておくんだった・・・

エレベーター内は私ひとり。
うっすらとした非常灯の下、小さな虫が飛んでいた。
10名は乗れそうな、
ビルの規模としては大きめのエレベーターだ。
そんなことを考えているうちに5分は経っただろうか。
私はもう一度、緊急ボタンを押した。
「あのぉ、まだエレベーターが動かないんですかぁ?」
(早くバイトに行かないと、と、トイレに行きたいんですけど・・・)
「は、はい、まだ原因を調べております」
「え、、」
「お待ちください、必ず助け出しますから・・・!」
通話ボタンの声は明らかに先ほどとは異なり、うわずった声でそう答えると通話は切れた。

ええーー
必ず助け出しますって・・・

女性のその一言で急に不安になった。

動かないただの箱となったエレベーター。
電気も消えているが、かすかに非常灯がぼんやりとついている。
視界には問題なかった。
頑丈な箱の中には、私ひとりだ。
空調も止まったらしい。
庫内は徐々に蒸し暑くなり、重苦しい。

空気が無くなったりしないかな。
窒息したらどうしよう。

庫内が重く、酸素が足りなくなってきてる気がした。
少ない酸素をひとりで吸って
二酸化酸素を吐く。また吸う。
箱の中で自分だけであることが、気が楽だった。

喉も乾いてきた。
数十年前、ペットボトルを持ち歩く習慣がない頃だ。
もちろん、携帯電話など無い。
私はただ一つ連絡手段だった緊急電話からも見放された気がしていた。

汗は吹き出していて、べっとりとブラウスが背中にへばりつく。
そして何より
早くトイレに行きたかった。

こんなに汗は出るのに、トイレも行きたい

と、分厚い扉を通して男性の話し声が聞こえてきた。
「電気まだつかないですね」
「まいったなー」
どうやらビルの人たちが騒いでるようだ。
「お、エレベーターも動いてないな。誰か乗ってたりして」
ふざけた感じで、
コンコンとエレベーターの扉を叩いた。
コンコン
私は中から叩き返した。
「わっ!中に人いるよ!」
男性は大声をあげ、周りに人が集まってきた。

コンコン
コンコンコン

再び叩き返すと、どよめきが起こっている。
「だいじょうぶかー?!」
「はい」
「他に誰かいるの?」
「私ひとりです」
「今レスキュー来るからね!頑張って!!」
分厚い扉の向こうの声が心強かった。

外が騒がしくなった。
どうやらこのビル全体が停電の様子みたい。
私はというと暑さと疲労で、床に座り込んでいた。
腕時計を見ると、エレベーターが止まってから1時間だ。
私は、スカートのままペタンと床に座り、
ブラウスの裾を力なくひらひらして、生ぬるい空気を送り込んでいた。

意識がぼーっとしてきた。
横になろうか、としたその時
「大丈夫ですか!今助け出しますから、安心してください!」
バタバタと力強い足音と、器具の音がした。
レスキュー隊だーー!

たすかったーー

ギーーンという機械音とともに、扉がこじ開けられ、
隙間から消防服の男性が手を差し伸べた。
扉1枚分の隙間からから皆の足元が見える。
どうやら、2階と3階の間で止まっていたのだろう。
私はヨレヨレの手を差し出し、凛々しい制服の消防隊に引っ張り上げられた。

床に足をかけて、引っ張り上げられると
一斉に拍手と歓声が湧き起こった。

エレベーター前両脇に数十人に迎えられた私といえば
メイクはドロドロに溶け
ブラウスは汗とファンデーションでヨレヨレ
当人の私はフラフラだった。

「わーーー!」
「おめでとうー!」

バイト先の先輩や、らしき人(私は入店して間もなかった)
知らない人まで
私に口々に声をかけてくれる。
エレベーター前は二手に分かれ、まるで花道のようだ。

「ありがとうございます」
汗臭い悲惨な髪を下げながら私はその間を歩いた。

声をかけられるたびに
早くトイレに行かせて・・・!
と、心で叫びながら。

その日のバイト先では
「エレベーターに閉じ込められた子」
として話題となった。
一番注目された日の私は
もっとも見られたくない風貌だった。

そして、今のところ
あの日を超える花道はまだ歩いていない・・・


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?