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陶酔的・自己破壊的・酩酊的・投機的

作家で精神医のなだいなだ(堀内秀)は、誰もが認める日本の依存症治療のパイオニアある。
彼が、最初に依存症を世に問うたのが、『アルコール中毒 その社会的人間としての病気』(1966年 紀伊国屋新書)である。そこで、「~社会的人間としての病気」であるなら、まずは、私(精神科医)なりにその社会的人間なるものに考察を加えてみたい。

約150年前、日本は近代的な国家を目指した。だが自然災害も多く、近代化に必要な資源が決して豊富にあるとはいえない島国である。そのため、人材の育成が不可欠だった。そこで、そのモデルとして江戸時代後期、農村復興政策の指導者であった二宮金次郎が選ばれ、全国の尋常小学校には、あの金次郎像が校庭に建てられた。みなさんよく御存じだ。
それから50年あまり経った1929年、当時の九州帝国大学下田光造精神科教授が「執着性気質」といった性格特徴を提唱した。その特徴は「気配り、控え目、几帳面、凝り性、責任感が強い、完璧主義的傾向」で、かつ日本人に多い性格特徴と指摘している。何だか明治時代以後の「金次郎」教育で培い、この時期になって実を結んだ感がある。
だが、その先約15年間戦争の時代が続くことになる。そして、戦に敗れた日本の国は、世界の最貧国になってしまった。しかし、戦後の復興とその後の経済成長は、世界中を驚かせるほど目覚ましいものだった。それを成し遂げた一因には国民の多くが執着性気質であったからとされている。

そんな日本国民が豊かさを実感してきた1975年、神戸大学の中井久夫精神科教授が『再建の倫理としての勤勉と工夫』といった論文を発表した。その一部を紹介しよう。

「・・・高度成長を支えた者のかなりの部分が執着性気質的職業倫理であるとしても、高度成長の進行とともに、執着性気質者の、より心理的に拘束された者から順に取り残され、さらに高度成長の終末期には倫理そのものが目的喪失によって空洞化を起こしてきた。(中略)その後に来るものはあるいは、より陶酔的・自己破壊的・酩酊的・投機的なものではないかという・・・」

神戸大学 中井久夫 精神科教授 『再建の倫理としての勤勉と工夫』

つまり、執着性気質者は、日本の復興と経済成長の担い手であった。しかし、その目的が達成されると心が空虚となり、結果、陶酔的・自己破壊的・酩酊的・投機的な状態に陥る、と中井久夫は指摘している。それは、陶酔的とは薬物依存、自己破壊的は過労死やうつ病(自殺)、酩酊的はアルコール依存、さらに投機的とはギャンブル依存ということになる。となると今日の精神疾患の主流は、これまた執着性気質がもたらしているようだ。
そして、中井久夫教授が警鐘をならして40数年の時を経て、やっと対策として形になった。
図で示すように自己破壊的とは過労死、ないしは自死(以下:自殺)である。そこで、過労死についてみてみたい。以下過労死等防止策推進法(2014年)の定義である。過労死等防止対策推進法第2条「業務における過度な負荷による脳血管障害若しくは心臓疾患を原因とする死亡若しくは業務における強い心理的負荷による 精神障害を原因とする自殺による死亡又はこれらの脳血管障害若しくは心疾患若しくは精神障害をいう。」とある。では次に精神障害者の定義をみてみよう。精神保健福祉法第五条「統合失調症、精神物質による急性中毒又はその依存症、知的障害、精神病質その他の精神疾患を有する者をいう。」となっている。ここでお考えいただきたい。過労死等防止対策推進法第2条の“精神障害者”は、精神保健福祉法第五条の精神障害者の全てが含まれるのだろうか。それは否である。統合失調症と知的障害(認知症も含む)は、障害者雇用促進法によって、やっと一般就労の道が開けたばかりだ。まだ過度に負荷がかける仕事を任せている職場は少ないはずだ。では、物質依存と行為依存(精神病質)はどうだろうか。陶酔的・酩酊的・投機的と中井久夫が列記したごとく、無意識下で過労死(自己破壊)を避けんがため、依存対象物へと陶酔的・酩酊的・投機的となってのめり込み、その結果としての生物学的死(それは早死、あるいは間接自殺)、そして、不祥事等により社会的死(失職、懲罰)となる場合がほとんどである。ということで過労死の対象とは、精神保健福祉法第五条の精神障害者の中で「その他の精神疾患」のみとなる。「その他の・・・」との表記は、これまで精神科医療において軽んじられてきた、と言っていいだろう。だが、「その他の精神疾患」とは今日増加が著しいF3とかF4、それとF8の心理的発達の障害(発達障害)も該当する。


とにかく、図表にあるように依存症対策、過労死等予防対策、それに加えて自殺対策基本法(2006年)と法と制度は整備された。だがまだ「仏作って魂入らず」だ。ならこれから、自殺対策、依存症対策、そして過労死等対策については、同じ土俵の上で実践を進めるのが合理的だと思うが如何なものだろうか。【『再建の倫理としての勤勉と工夫』『躁うつ病の精神病理1笠原 嘉 編」中井久夫1975年 弘文堂』】

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