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節目の写真で蘇る過去

先日,娘が孫の七五三の写メをたくさん送ってくれました。

楽しそうにみんなが笑っています。家族でお祝いする様子は幸せそうです。

孫と娘。同じようなポーズの二人は何十年も前の私と娘。彼女に着せた黒のベルベットのワンピースにはオーガンジーのちいさな襟。その話をしたら首回りがチクチクして嫌だった!と告白されました。親は何にも知らずにそんな思いをさせていたとは…。

彼らのパパはなんだか自信に満ちて余裕さえ感じられるようになってきましたが、二人であいさつに来た時のちょっとはにかんだ目じりのしわはそのままです。

息子が六年生になるのをみることが出来なかった主人にこの写真を見せたいと思いましたが、きっと宙のかなたで…。

久しぶりにスマホのアルバム。今年の春、里帰りした娘一家と食事をしした時。その写真の中にいるのは紛れもないおばあちゃんの私。母が年老いていくのを見て、これが現実とよく思ったものですが、今それがすっかり入れ替わっています。母の位置が私になっている。

あの時いつかはこうなるんだろうと見ていた風景は残酷でもありますが…。意外とこんな光景を体験できたという安堵感があり、一言では表せない心模様を作りました。

屈託のない孫たちの笑い声に交じって、おとなになった息子たちの声が加わり、あの時から見れば未来の私がここにいるという現実を喜ぶべきでしょう。

たまに42歳で逝った主人が今此処にいたらどんなお爺さんになっているだろうと思うことがあります。

同時にこの世からいなくなる瞬間、意識があったなら「どんなことを思って逝ったの?」と聞きたくなる時もあります。

身近な人間が最後どう思ったのかを知ることが出来ないのは分かっていても切ないものです。

もしその時に思ったことを伝えたくてもきっとそれは叶わぬこと。せめて私は「ありがとう」と言いたいなあ!

送られてきた写真からいろんなことが浮かびました。

今朝は鉛色の雲がいくつもの固まりになったりほどけたり、大きなクジラのように泳いでいきます。

鳩は公園のフェンスでいつも通りきちんと並んでおとなしくしています。時折吹く強い風に首の柔らかい羽がざわめいています。

ぽつぽつ降り始めました。それを悟った⁈のかいつもより早くリラックスした体を起こしてニケは家に向かいます。

今日もいい日にしましょう!





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