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桜散歩

山はかすんで所々山桜の薄桃色。高くはないその頂は緩やかで冬のそれとは違う曲線を連ねています。

近くの川では早くからお花見の人がシートを敷いて桜を見上げています。
みんな心がほどかれたみたいに穏やかです。

花の不思議な力は物言わずともいろんなことを教えてくれて、日頃の殺伐感を忘れさせてくれます。

よちよち歩きの男の子はバギーから降ろされたとたんその子を誘うように少しづつ風で動かされている花びらを追って楽しそうです。

同じように満開を迎えていてもその咲きっぷりは少し違っています。
幾つもの花が鞠のようにまあるく形作っていたり、一つ二つ一緒に並んでいたり、サクランボのように膨らんだ蕾と三分咲きのがいっしょになっていたりとそれはそれで一枚の絵のようです。

この場所で何十年も前から人はこの季節、桜をめでていたという漠然とした確信はこれからも続くのでしょう。

少し離れた場所でそんな空想に浸っていると離れた春の海からこれも優しく汽笛がこちら迄聞こえてきました。

そこには幼い私と手をつないだ祖父。何も言葉を交わさなくてもベンチに座って眺めている姿が浮かびました。当時まだ独りぼっちの子供が家族を探すのを諦めた寂しい目でたたずんでいることがありました。

見つけると必ず祖父は声をかけて、近くの交番に行く前にパンやジュースを二人分。ひとつは私にもう一つはその子に渡しました。

最初は祖父の知り合いの人の子供かと思っていましたが、何回もそんな場面があり、お母さんとはぐれたと聞かされてもそうでないことをうすうす感じていました。

そんな時代もあったのだということを家族づれや若い二人、犬と一緒に散歩中の人を眺めながら思い出しました。

大袈裟ですが「いい時代になった!」
小さいながら感じた何ともちょっぴりほろ苦い気持ちはおとなたちとはまた違った戦後でした。同じ年頃のあの子たちはどんな人生を送っているのでしょうか?どこかで桜を見ながら当時を思い出したかもしれません。

骨折した左手首も日常生活をほぼ不自由なく過ごせるくらい回復しました。
日にちはいろんなことを解決してくれます。

自然も季節によっていろんな表情を見せて私たちの気持ちを豊かにしてくれます。

いろんなモノに助けられているということを実感したひとりお花見の時間となりました。

お昼は近くのおうどん屋さん。お出しのうま味はピカイチです。
久しぶりに寄ってしみわたるその味を堪能することにします。
お昼まではまだ時間はたっぷりあります。

ニケは留守番でひとりブラブラ。たまにはいいものです。
今日もいい日にしましょう!



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