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波乱万丈は絶好調の証
私だけが苦労しているとかツイていないといまでも悔やんでいる人がいます。周りの知り合いが上手くいっている人ばかりだと思うのはその人の思い込み。
生まれてから一度もピンチ!だと感じたことが無いならそれはまだ親の庇護の元から巣立っていないか、もしくはそこからできるだけ近いエリアに留まっているから遭遇していないだけなのだと言えるかもしれません。
少し打ち解けて話をする機会があると「ワ―この人もいろいろ経験して来たんだなあ。」とか「すごい人生歩まれていたんだ!」と驚くことがあります。
意外と「すごい!」と思えるぐらいの経験をしてきた人の方がそれを感じない余裕や穏やかさを感じることがあります。あまりにも話しぶりと話の内容のギャップがすごすぎて徐々に引き付けられてもっと聞きたい!と思えるものです。
60歳代の女性は車いすを押して実母といっしょにみんなの輪の中に入られたことがありました。ちょっと気難しそうな母親でしたが傍らでニコニコしながら相槌を打たれていました。
後にその母親に大変な虐待に合わされていたと聞きました。
あまりにも母親の支配下、仕事の帰りにこのまま消えたいと思ったことが何度もあったとか。それを救ったのは彼女の考え方、自分の環境を受け入れる真摯な気持ちにあるのは当然ですが、それを微塵とも感じさせない強い精神力と今のご主人に出会えたことが大きく関わったようです。穏やかな女性に癒されたと同時に尊敬の念迄生まれました。
先日の飲み会は苦労話のオンパレード。「あなたも苦労したのねえ。」と一人が言うときっと言われた人はその中で一番の波乱万丈な人生を過ごしてきたと思える内容でしたが、笑いながら「そんなことないよ。私はいつも絶好調!」と言ったので大きな笑いが起こりました。拍手までする人もいて…。
こうでなきゃと彼女を見ながら私のちっぽけな波乱万丈が恥ずかしくなりました。
乗り越えられない試練は与えられないと言います。
ならば大きければ大きいほど試されているのですから挑戦すべきなんでしょう。
たとえ結果として上手くいかなかったとしてもその苦難のトンネルを通過することで人格が磨かれて一回りも二回りも大きな人間になっているはず!
そんな先人たちからちょっと注意されただけで傷つく若者や、年を重ねてからだと逆恨みする人もいるようで、それを反省したり指摘されてよかったと思えるようになるかも試練の一つ。何も大きな問題にぶつかることだけではなく小さなことは毎日にいろんなことがあるはずです。
楽しいことが多いほうが嬉しいのはみんな同じですが、その時のもやもやした気持ちや意地っ張りな気持ち、そして落ち込んで立ち上がれないとなってもそれを解決するのも自分自身です。
「苦労は買ってでもしなさい。」と昔の人は言いましたが、お金を払ってもそんな嫌なことから逃げたいと思うのが今の人の本音なのでしょう。
ここにきて私にもわかります。いろんな人が私の足らないところを指摘してくれたことや、天からの試練を拙いながらも乗り越えてきたことはやっぱりよかったと。「私もいつも絶好調!」と言えるような気がしてきました。
今日もいい日にしましょう!
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