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信頼するっていいことだ

「信用してたのに裏切られた!」人間関係でそんな言葉聞いたことがあります。家族であっても「父がそんなことするはずがない」とか「母が手を抜いて料理をするなんて」のレベルならさして問題になりませんが、「うちの子に限って」は少々重い響きです。

東京で高校生活を始めた息子は私の目が届かない分何をしているか見当がつきませんでした。「人様に迷惑をかけないように!」と母親としては言うべきでしょうが、そこは親ばか「信頼してるからね!」と言って送り出しました。
私は信用=期待と思っています。息子ならきっと!娘も!これは母親の思いと言うか勝手に信用と言う言葉で相手を縛っていることだと思っています。
自分の思っていた結果と違うことで落胆してもそれはこちらの思い過ごし。勝手な思い込みです。

「そうあってほしい」と言う願い!親子であっても大きくなって学校や社会でいろんな人と出合うようになると自分の考えが育っていきます。

「そんな子に育てたつもりはない!」と言うフレーズもよく聞きます。
少し話は飛躍しますが、年頃になって、将来を共にしたいと思える人に会ってほしいと言われたら…。

「どんな人でも受け入れよう」と自分の中で誓いました。子供たちが選んだのだからということもありますが、どんな人を選んだかは私への通知簿。「へーなかなかしっかりした人じゃない!」「意外と○○」
娘が旦那さんとなる人を紹介したいと言ってきた日、「いよいよ来ましたか!」とワクワクしました。実際に会ってみると主人とは全くタイプの違うスポーツマンで、なかなか頭もよさそうな…。その時点では母親の私に合格点の○!が付いたように思えました。

息子の彼女は大体私とは正反対のおとなしくてちょっと恥ずかしがり屋かな?と思える人ばかりでした。反面教師!と言う言葉が浮かびました。まだ結婚には至っていないので通知簿はもらっていませんが、息子を信頼しても大丈夫そうです。

特に彼には「人は信頼しても信用するのは慎重に!」と言ってきました。
自分中心の価値観でものを見ないようにと付け加えたのは成人式の日に贈った言葉です。

いろんな場面で信用と信頼の使い方を迷う場面に遭遇してきました。
それぞれの立場で接するわけですから、10ある中でいくつ迄納得したら、この人の考え方を信用できるかと判断することも一つの方法です。
 しかし信頼は、もっと奥深くにあるもの。その人自身がどんな考え方をしていても許せるとか受け入れられるというのが基本のように思います。

信頼できる人がいるって幸せなことですね!今日もいい日にしましょう!

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