何が正解なんだろう
これをすれば大丈夫!とかこの通りにすれば幸せになれると本当に信じている人はどれくらいいるのでしょうか?
仕事でも人間関係でも成功する方法のHOW TO本がたくさん出ています。
SNSでも溢れる情報、もしかしてと思えるタイトルに飛びつくと途中でOFFにすることの方が多いようです。
私は今股関節の具合が悪くて、3年ほど前は歩けば治るみたいな方法を実行していましたがますます。長年通っていた整体も若いころと体が違ってきたのもありますが、その衰えに施術のすばらしさも追いつかなくなってきたようで考え方を変えるようになりました。
1つは長年使ってきた体をいたわってこれはこれ。そうやって人は年を重ねるのだと。たまに以前のようになんとか少しでも楽になろうといろんな情報を見ることはありますが、大きな時間の流れをとどめることはできずましてやそれを逆流させることは不可能でその丁度いい塩梅、少しは我慢も必要でその中でも体を長持ちさせる工夫をするようなりました。
以前のように走れたらとか階段を駆け上がるという夢!はほぼなくなってきましたが、一歩の大切さが知らぬ間に目的地についているという安心感をありがたく思っています。
50代の知り合いの中には、顔を小さくしたい、細くなりたい。洋服をたくさん買いたい。と欲がたくさんあってそれはそれで活力になっている人と苦しむ材料になっている人などそれぞれです。
周りにモノがたくさんあることが幸せの証と思われていた時代。皆踊らされた時期もありました。
その終焉は日本中を落胆の経済社会に陥れた時期もありましたが、個人の考えの中にその時の浮かれた自分がまだ生きていて物欲の塊を捨てきれずにいる人もいます。
こうすればと言う考え方はその人から発せられることでいろんな人に当てはまるかと言うとそうでもなさそうです。
何が間違いで何が正しいのか、正解は不正解でもあって自分の考え迄も否定されたと思いがちですが、そう思うこと自体が迷いの渦にはまっていくことで、人は人でもそれもありかと思える人でありたいものです。
周りを見るのも必要で、ある程度 数の多さで判断することもありかもしれません。
正解を探すことがどんなに無意味かいろんなことにぶち当たった時考えるいい機会かもしれません。
母親の若い時の服やアクセサリーを身に着けるのが流行っているそうです。
古臭いではなくレトロと言う響きにかわいらしさを感じるそうで本人が気持ちよく暮らせるなら全部正解かもしれません。
昨日は猛暑の一日。ニケは階段の踊り場でかすかな風を感じながら一日中ゴロンとしています。散歩をためらうならそれも正解かもしれません。
今日もいい日にしましょう!