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公衆電話

以前は家庭に電話があるのは稀でした。
みんな公衆電話まで行ってダイヤル!を回しました。
長電話になりそうなら10円玉をたくさん持って、しばらくすると100円を入れることが出来るものもできて便利になった!と喜んだものですが、わざわざ外に行くわけですから不便極まりないことです。

いまから思えばなんと悠長なとなりますがそれはごく普通の事。
東京で訓練生のころ。乗務前の数時間、そのうちの数分を会社の公衆電話で実家や友達にかけたものです。声を聴くことで元気に出発できました。

10円玉の落ちる音を気にしながら、話の途中で無情にも切れてしまうのはしょっちゅうでした。

下宿の大家さんの玄関には黒電話があったのですが、内容を聞かれるのが嫌で近くの公衆電話までかけに行きました。

同じ年頃の兄弟がいましたっけ。たまに弟さんが空港うまで送ってくださったり、部屋に棚を付ける時はお兄さんが大工仕事で大活躍。

私は同郷の2つ年上の彼女と共同生活。何度か四人で食事でも!となったのですが、1度仕事が入ったら1週間や半月はいない私たちです。なかなかその機会は訪れず…。きっとそれ以上のご縁が無かったのでしょう。

淡い思い出もなく、大家のおばさんがあれこれと息子さんを引き合わせようとしてくれましたがご期待に沿えずという結果でした。

私たちのどちらかに電話がかかると、ベルが鳴ります。
返事をすると「○○さんにかかってるよ!」と大きな声で知らせてくださいました。

慌てて階段を駆け下りて玄関までたどり着くと息を切らしながら、横に置かれた受話器を取ります。

母も気を使って手短に用事と元気確認するのみで味気なくおしまいとなります。父の声はまったく聴くことはありませんでした。

後に結婚した主人からは電話ではなく手紙。
それも大家さんのポストに入っていたのを部屋の前に置いた箱に入れてあるといった具合でした。今から思えば昭和の一コマです。

現代はスマホが一人に一つですから、邪魔が入らず何時間も自由に話せます。
私たちの時代はこの黒い電話が一つの関門で、ベルのなる間中本人が出てこなかったらどうしようとドキドキしたそうです。そんな経験をした男性も多いのではないでしょうか?

そんなことを思いながら散歩中。坂道にぽつんとある公衆電話ボックス。いつかは取り除かれそうなくらい使う人を見たことがありません。

大震災の時は大勢の人が公衆電話に並びました。その時はプッシュフォン。
やっと順番が来て、両親の声を聞いたときの嬉しかったこと!ふと思い出しました。10円貯金しておいてよかったことも。

このボックスもいろんな人がいろんな話をしているのをそっと見守っていたのでしょう。

今日もいい日にしましょう!


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