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想い出をめくる人、重ねる人。

昔のことをよく覚えている人は想い出を心にあるノートに書き綴っている人。いつでもパラパラと見返して「ほらほらあの時はこうだった!」と突き付けます。何ページに何を書いたかもほぼ覚えています。

細やかな心のひだのある人だと言われています。

反対に、どんどん重ねていく人はだいたいのことは覚えていないものです。「そんなことあったかなあ~覚えてないわ」となり、昔のことはもういいやと無頓着なのか思い出すのが嫌なのか…。

恋愛も、失恋した方は何度もパラパラとめくって涙する。未練がましいとは言いませんが、過去に「ああ言った、こういった」と昨日の出来事みたいに走馬灯が回り始めます。あの日のことをいつでも引き出せる人ですが、けんかするときはそのことでもめることが多いそうです。「都合の悪いことはみんな忘れたとごまかす!」と片方は腹を立てます。

記憶を重ねる人は確か真ん中あたりにあったはずと言いますが、いい加減なのでなかなかそれを見つけることが出来ず、探すのに疲れてしまって最後はどうでもいいやとなります。

私はどちらかというと想い出はメモ書き派。書いた時点でほぼおしまい。覚えるために書くのではなくて、一応したためるという程度です。もちろんハード面で大切なことはノートに記しますが…。

それなのに最近はあることごとに昔のことがよみがえるようになりました。

重ねたメモの紙がめくれてひとつづつ。何気ないことからもはらはらと。

いつのまにかメモ用紙が何枚も重なって、一冊になったみたいです。それが歳を重ねることなのかもしれません。

痴呆がはげしくなった母は、会いに行くとしっかりと話すのですが、どうも時間軸が違っているようでした。

ある時、私はきっと小学生。またある時は嫁入り前。会話を聞いているとその時によく言っていたことや、六甲牧場に行って私が羊に追いかけられたこと。運動会で母が作ったお弁当の話、欲しがっていた自転車の事。それらの話は瑞々しく彼女の心からあふれ出していました。

それを聞くせつなさ。その時の母は大切な心のノートをパラパラとめくって本当に穏やかな時間を過ごしていたのでしょう。

父は最後までしっかりしていました。若い時は母とは真逆な人でしたが、ぼつぼつと昔のことを懐かしむようになったのは90歳に届くようになったころからでした。

きっと彼の中に一冊のノートが完成して、めくってみるとキラキラと零れ落ちるものが病床の父に降り注いだのかもしれません。

ノートは半分までしか書けなかった主人はもっと分厚いものにしたかったでしょうが、私たち家族にはびっしりと書かれたいい想い出のノートを残してくれました。

雨音がはっきり聞こえる冷たい朝になりました。秋にぐっと近づきそうです。

それもまた良し!いい日にしましょう!


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