恩送りっていい言葉
沢山の人にお世話になって今の私があります。
たくさん迷惑もかけたでしょう。生きるために、子供のためにと決断できたことは、助けられている、守られているという実感が無意識のうちにあったからだと思います。
「いつかは恩返しがしたい」という言葉をよく聞きます。
親に、家族に、友達に、恩をいただいたのは数知れずです。
ところが親孝行したいときには親はなし。というようにあの時代はずいぶん遠くになりました。
今の自分を見せることが恩返しという人もいます。
もちろん恩を受けた人に返す1対1が理想です.
子供たちに「親孝行しなさいよ!」と大人は言います。
子供は生まれて、歩き出すまでにすでに可愛くて愛おしい姿を親に見せてくれる。もうそれだけで恩返しは終わっていると思っています。
私が生まれてきてよかったと両親に思ってもらえたと信じています。
恩返し、もっと先の恩送り。この言葉、未来があって繋がっていく素晴らしさがあって好きです。
自分が助けてもらったことと同じようなことを他の人にする。両親に育ててもらった恩を子供を慈しんで育てることで、お返しする。素敵なことだと思いませんか?もちろん自分の子供だけでなくどんな子供たちにも…。
そうやって繋いでいったら人に対する関わり方も変わってくるように思います。
親切にするということは、いつかの時に受けた恩を自然に返していることになると思います。恩返しの数珠つなぎが恩送り。
釈迦は自分にたいして利得を与えた他人の恩を忘れず、何かの折に返す行為は崇高であると説かれました。
反対に人にかけた恩はあっさり水に流すこととも。
あんなに可愛がってあげたのに!いろいろ面倒をみてあげたのに!と恩着せがましいのは一番見苦しいことです。
その人から返ってこなくともいずれその人がまた違う人を助けたらそれでOKと思えるかどうか。器の大きな人になりたいものです。
今、娘は三人の子供に精一杯の愛情を注いでいます。頻繁に連絡はありません。私も連絡しません。たよりのないのは無事で元気な証拠。お互い暗黙の了解!それはまさに私に恩返ししてくれているということでしょう。
子供が親の面倒をみるのは当たり前。親が子供に迷惑をかけまいとする気持ちも大切です。が、それは精神的なものが尊いのであって子供の人生に
多大な負荷をかけるのはお互い不幸です。他人に頼れるところは遠慮せずに頼って、親の老後は成り立つような気がします。
共倒れが一番悲しい。
今朝の公園は小雀が親のあとをピョンピョンと付いてきて何とも可愛い光景です。今に親離れして、立派なスズメになるのでしょう。草陰で狩のポーズの桜猫がいます。それをニケはちょっと首を上げて、耳を澄ませて見ています。
今日もいい日にしましょう!
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