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世界はこれから何をデザインするのか

今年の初めにラスベガスとロンドンを訪れた。ラスベガスではCESに参加して、ロンドンでは何人かのデザイナーに会った。

ラスベガスで感じたコントラスト

CESに関してはいま改めて言及する必要はないだろう。すでに多くのメディアが詳しく内容を報じている。TOYOTAのWoven CityやDaimlerのAVTRをはじめ、今年は例年にも増してビジョナリーな提案が多かったようだ。都市空間や持続可能性といったテーマとテクノロジーの結びつきも強く感じた。

目を奪われたのはラスベガスの街並みであった。壮大なビジョンと未来をうたうCESの会場を一歩後にすれば、深夜でも止むことのない凄まじい自動車交通を目の当たりにする。深夜、喉が渇いてホテルからフリーモントストリートに出て行くと、あまり治安が良さそうな空気はない。美しく洗練された未来を脳裏に焼き付けられた後だからこそ、余計にラスベガスの町並みとのコントラストを意識したのかもしれない。

今年はHyundai がUberとロサンゼルスやカリフォルニアの交通を空へ転換する大胆なビジョンを提案した。しかし、個人的には「どうやって街が変わっていくのか」その過程が気になった。同時にこの街には「もっとやるべきこと」があるのではないかとも思った。

丁度会場でもあったMGMで起きた痛ましいテロから、ラスベガスは何を学んだのか。トランプが緩和する排ガス規制は、果たしてサステナブルな未来とどこまで共存していけるのだろうか。フィードされるおびただしい数の殺人事件を眺めて「他にもやるべきことがあるだろう」という気持ちに突き動かされる。

だからこそCESでは倫理や社会についてもっと話が聞きたかった。「人間の真ん中にくるもの」についてテクノロジーの声を聞きたかった。僕が回れる範囲では3つくらいのkeynoteがプライバシーや紛争、そしてジャーナリズムなどの観点からテクノロジーに言及していたけれど、少なくとも昨年のweb summitのEdward Snowdenくらいの話が欲しかった。

in House RecordsとJudah Armani 

ロンドンでは何人か気になるデザイナーと会った。その1人がJudah Armaniというサービスデザイナーだった。去年の9月に東京で友達になって、今回は彼の故郷のBrightonを訪れた。彼はCentral Saint Martinで学び現在はPublicというサービスデザインの会社を立ち上げている。Royal College of Artのフェローでもある。

彼が立ち上げたin House Recordsというサービスに昨年の秋から注目している。端的に表現すればこの取り組みは「ロンドンの刑務所に収監されている囚人たちが作るレコードレーベル」である。特筆すべきは、再犯率が高いロンドンの囚人たちが、この取り組みと携わっている場合、再犯率がゼロであること。そしてその音楽性が評価され、Universal Recordsと契約を結んでいることである。

プロジェクトの成り立ちを掻い摘んで説明すると①通常囚人たちの犯罪は「教育水準の低さや貧困から生まれる」と思われている②しかし、リサーチの結果彼らの知的レベルは非常に高いことがわかる。問題は特に幼少期のトラウマやネグレクトの経験を持つ割合が高く、自己開示することを極端に嫌っている人が多いことだと考える③だから刑務所の単純労働や教育では意味がなく、如何にオープンマインドな精神性を育てるかが鍵だ④オープンマインドになって下さい!とお願いしても意味がない。他人(時に自分)を信じられない彼らが信じられるものの1つが音楽である⑤レコードレーベルとして音楽を作ることで様々な役割が生まれ、音楽を通じて彼らは混じり合い居場所を見つけオープンマインドな状態になる。出所後も関わり続け、再犯は起きない。 といったところだろうか。

僕はこのプロジェクトが、ある種のサービスデザインにおける「極み」にたどり着いた取り組みだと考えている。囚人たちとレコードレーベルを作っちゃうというビッグアイデアもさる事ながら、彼らの18ヶ月にも及ぶ膨大なリサーチは、デザインだけではなく社会学をバックグラウンドにしたとてつもなく深い洞察を得ている。かつ、心理学的なアプローチを活用した、レコードレーベル運営のメソッドも秀逸だ。さらに、この取り組みがパブリックセクターからの金銭的援助ではなく単純に音楽の売り上げで成り立っているところにも凄味を感じる。このプロジェクトの詳細はすでに学術論文になっており、下記から読むことができる。

わたしたちは何をデザインするか

東京で昨秋に始めてJudahに会った僕は、その人柄に一瞬で虜になり、彼のマインドやデザインに対する態度をもっと深く知りたいと思うようになった。彼と再会できたことを心から嬉しく思うし、Brightonで過ごした時間は本当に素晴らしいものだった。

彼は「ダブルダイヤモンドを信じていない」とはっきり言った。デザイン理論のベーシックであるダブルダイヤモンドは確かに物事を何かしらの「解決」へと導いてくれる。しかし彼が思うデザインの本質とは解決ではなく「スペースを作る」ことだと言った。

「人の価値観は多様だしバックグラウンドも様々だから、矛盾する意見はたまに憎しみにもなって問題を起こすでしょう?でも、それを解決することはできない。デザイナーにできることは、ただのびのびと安全に誰かが過ごせるスペースを作る事しかできない。でも、そのスペースは誰かの人生を決定的に変えるものになる。」
in House はそのスペースなんだと思った。帰りがけに彼は「もう仲間だから」と言って僕にスタッフTシャツを渡してくれた。

市井の機微

帰国間際にNational Portrait Gallery に立ち寄って The Taylor Wessing Photographic Portrait Prize という写真賞の展示を見た。切り取られた人々の日常と、滲んで見える感情の動きに思わず息を飲んだ。ドラマティックでビジョナリーな何かより、もっと「市井の機微」みたいなものを丁寧に掬える人でありたい。そういうものを作っていきたいと思った。

先週末、仲の良いファッションデザイナーと晩飯を食べていた。「バックキャスティング」が一番難しいデザインの1つがファッションなのかなと思った。耳障りの良い近未来よりも、もっと人の日常を捉えていこうよと、そういう漠然とした約束だけして別れてしまったけれど、今年はそう言う年にしたいと思います。

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