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小さなコンプレックスを3つ『アラサーぼっち観察記』㉖

はい、どうも皆さんこんにちは。二重丸と申します。
今回は日常であまり支障がないけど本人は気にしている、そんな小さなコンプレックスについてお話していきます。

今日話すテーマは3つです。についてのコンプレックスです。どれも普通に生活する分には困る場面は少ないです。けれども、過去に恥ずかしい経験があるからずっと一人で気にしている、そんな感じの内容です。

字が汚い

まず、についての話から始めましょう。
あなたは字が綺麗なほうですか?「なんて書いてるの」なんて言われた経験はありませんか?

僕は小さい頃からずっと言われてきました。このコンプレックスが今回話す中で一番頻繁に顔を出すものだと思います。最近は手書きをする機会も減った気がしますが、それでも、公的な申請などを行う際には結局必要とされます。
お察しのとおり僕は字が汚いです。ゆっくり書けば人が読める字になるのですが、慌てていたり、油断していたりするとどうしても僕の素の雑な文字が出てきてしまいます。そんなこと言っても公的な申請なんて名前と住所くらいしか書かないじゃないか、とおっしゃる方もいるかもしれません。その通りです。そして、その名前と住所すら読めない字になってしまうのが僕なのです。本当にお恥ずかしいです。

思えば小さい頃から雑な子どもでした。小学生の頃、漢字のドリルで字をなぞるのが大嫌いでした。もうちょっと丁寧に書こうね、と先生に何度言われていたことか。挙句の果てには国語でもなんでもないテストで、「字が読めないので点数をあげられません」と言われた事すらあります。ずっと字の雑さが僕のコンプレックスです。

一応直そうともしたことがあります。ボールペン字講座の教材を使ったこともあります。綺麗な字の書き方についての本も買いました。ですが何分三日坊主なもので、てんでろくに続きません。更に日常的に人に字を見せる機会がないのもモチベが続かない理由です。あまりないからこそ、そのときは特に恥ずかしく感じてしまう、そんなコンプレックスです。

絵が下手

二つ目はについてです。
字と同じように僕は絵が下手です。絵心って何なのでしょうね。それでも僕は比較的手を動かして何かをすることが好きなので、暇なときに落書きをしたりもします。他人様に見せるものではないので下手でも間違ってもいい、そんなお絵描きは割と面白かったりします。

字に比べて誰かに見せるという機会が圧倒的に少ない絵を、人に見せる機会が僕の中で一つだけ思いつきます。それは誰かに説明するときです。写真があればベストですが、なければ言葉よりも実際に簡易な絵を見せるのが早い、そういう場合の話です。

僕はこのシチュエーションでちょっとしたトラウマがあります。すでに言ったとおり手を動かすのは嫌いじゃないです。ですので、意気揚々とよく説明に絵を使う時期がありました。
そんなある日に、簡単な説明のために「あんまり上手じゃないけど」と落書きを見せると、それを見た僕の友人がこう言いました。「絵が下手な人ってこういう描き方するよね。どうして?」酷くないですか?まぁ実際線がぐちゃぐちゃで汚かったのですけど、言い方ってもんがありますよね。いい友人なんですけど率直にものを言い過ぎるきらいがある人でした。
その後、僕はちょっと人に絵を見せるのが恥ずかしくなりました

ちなみに絵についてもスケッチの描き方の本を買ってみたりしましたが、例によって続かずです。また練習する機会を作りたいと思っているんですけど……

音痴

最後はについてです。
僕はこれについて二つの恥ずかしかった思い出があります。

一つ目が小学生くらいのときの思い出です。僕は歌うことが好きな子どもでした。母親や祖母と童謡やアニメの歌を歌っていました。週末に車で出かけるときには、僕の好きな歌を流してもらって歌うのが習慣になっていました。この習慣が恥ずかしい思いをする原因になってしまったのです。

当時、友達と同じ習い事をやっていた僕は、両親の都合がつかないという理由で友達の送り迎えの車に同乗させてもらいました。このときに放送していたアニメの主題歌が車に流れ僕はほぼ無意識で歌を歌いました。それも結構な声量で。
そのときは特に問題が起きなかったのですが、次の日の学校で事件は起きました。前日に一緒に習い事へ行った話になり、その友達に「○○(僕の本名)歌うの好きなんだね。熱唱やったし。」と言われたのです。その友達に悪気は一切なかったのだと思います。ただそんなイメージがなかったよ、というだけの話をしたかったのだと思っています。
しかし、ほぼ無意識の習慣を他の友達の前で指摘された気分になった僕は、どうしてかそれがとんでもなく恥ずかしいものに感じたのです。すごく印象に残っているエピソードなので、どのアニメの何の曲を歌っていたかを未だに思い出すことができます。その後は人前で歌うという行為がそれまでよりも、より恥ずかしく感じてしまうようになりました。これが一つ目の話です。

二つ目は高校くらいのときの話です。
人前で歌うのが恥ずかしい僕が、カラオケに初めて友人と行ったときの話です。テスト勉強のついでに行こうみたいに誘われたことで上手く断れず、ついていくことになったのを覚えています。行ったら行ったでやっぱりろくに勉強せず、それでも歌わずに帰るなんて言えるわけもありません。

いざ歌ってみるとなると音程が上手く取れません声もなんだか出づらい。めちゃくちゃ緊張していたからだと思います。学校の授業以外で初めて友人の前で歌う、しかも一人で。緊張も当然でした。
さらにカラオケには、採点機能という楽しくも忌々しい要素があります。音程を外したらその場で失敗がわかるし、点数だって出ます。誘ってくれた友人は当たり前にカラオケ慣れしていて、点数も僕より圧倒的に上でした。上手とは決して言えない僕の歌、どんな感想だったのでしょうか。コメントに困っているように感じられ、なんだか少し気まずい空気になっていました。その空気が耐え難く、もっと人前で歌うのが嫌になりました。

ちなみにカラオケは好きです。たまに一人カラオケに行くことがあるくらいです。飲み物も空調もあり、時間を区切って楽しめるこの娯楽は素晴らしいと思います。未だに人と行くのは嫌ですが、新しい遊びを教えてくれた友人には感謝しています。

これらの二つの忘れられない出来事によって、元々人前で歌うのが好きでなかった僕はより苦手になってしまいました。もちろん、日常的に歌を披露する機会なんて僕には存在しないので、困るときはほとんどないです。ただ、僕がずっと気にしているという、そんな小さなコンプレックスです。

さて、三つのコンプレックスについてエピソードを交えて話してきました。困る場面は少ないけれど、いざというときに嫌になる、誰もきっと気にしてないのに劣等感というものは困ったものですね。

次回は、本について書く予定です。また是非お時間あればお付き合いください。

本日のまとめ

誰よりも僕が気にしているのです。



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