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雪が散り虫が鳴く(京都旅行後編)|ナインチェ・プラプラウスの「いつかいなくなっちゃうかもだし」#56

怒りは期待との相違に生まれると、本で読んだことがあります。
こうなっていると思ってたのに違った、なんでだなんでだ、むかっ!
ということみたいですね。
確かに大半がそれで説明できそう。
だったら期待することをやめればいいのかもしれませんが、それはそれで寂しい。

どーもどーもナインチェ・プラプラウスです。それはそれでちんちんじゃありません。

(前回のあらすじ)
ご主人の誕生日に京都に行った。
色々見て大満足だった。

さて、二日目。
最強立地のお宿でしたから、二人は、早起きして清水寺に行くことにしました。
一念坂、ニ寧坂、産寧坂を澄んだ空気をすーはーして登ります。
産寧坂は転けると三年で死ぬと言われていますので、慎重に慎重に。

たどり着いた清水寺は、うん、間違いなし。
いつも沢山の人だかりですが、早朝というだけあって空いてます。
京都の街を一望してワイワイしてますと、ここから先は入場料、とのこと。
うーん、ま、いっか。朝食まで時間ないし。
そういうところはあっさり決めましょう。

帰ってきて朝食。
素敵な旅館の素敵な食事処。
ハラスやだし巻き卵、茶碗蒸しなど定番メニューが小洒落た器に盛られてきます。
少量だけど、一つ一つ丁寧に作られていてとても美味しい。
あ、ちりめん山椒。
清水寺への道で見かけた京都名物です。
山椒好きのご主人は、気になる気になる…と口にしますが思ったより山椒の味はしませんでした。
となりの小魚の煮しめの方が山椒風味。
ま、思ったのと違うけど、美味しいからいっか。

チェックアウトしてからは、バスを乗り継いで龍安寺へ。
教科書で何度も見た、枯山水を一度生で見てみたいご主人なのでした。
ゆったりとしたバスの移動はあっという間ではありましたが、意外と1時間くらいつらつらり。

たどり着いた龍安寺、ワクワクする心で門に向かうと、門が閉まっています。
朝が遅いのかなと、張り紙を読むと休園中の文字。
これは残念、1時間かけたんだけどなぁ。
人生に一つやり残しが増えたので、京都にはまた来なきゃいけません。

残念な気持ちは胸にしまって、嵐山へ電車でgo。
嵐山での目的はただ一つ。
「みっふぃべーかりー」です。
その名の通り、ミッフィーのパン屋さん。
名物はミッフィーの顔をしたあんぱん。
他にもミッフィーに縁がある商品が並びます。
だらっとしていたら、可愛く焼けているあんぱんは取られちゃいましたが、なんとか二つはゲット。
お家用の食パンも買って、イートインでいただきます。
お味は普通でしたが、ミッフィーのパンが食べられるなんて、うん、これだけで充分。

お次は、たくさんの鈴虫が鳴く中、説法が聞けることで有名な鈴虫寺へ。
話が上手な坊主が、商売っ気が多少強いありがたい話をしてくれます。
現代人が楽しく聴けるように設定された三文字の漢字を使ったお話は、まぁ多少の商売っ気は受け入れてやるか、と思わせる豊かな時間でした。

さて時間が余ったのでお次は京都マンガミュージアムへ。
大分と山側に来ていたので、また大移動です。
とかいって駅まで歩いていると、雪なのか雹なのかがチラホラ。
なんだよ、聞いてないよ、濡れちゃうよお思いながら何とか中央部に行く電車に乗れました。

京都マンガミュージアムは、とてもたくさんの漫画が蔵書されていました。
漫画の歴史が感じられるように年代毎に並べられた本棚は圧巻です。
二人がこれまで読んできた漫画たちがどんな変遷を辿ってたどり着いたものなのか、重みを感じられました。
とはいえ、原画やなんかが沢山並ぶミュージアムではありませんから、ミフィちゃんは少し物足りなさそうでした。

残った時間で、心残りを解消しに、甘味処へ向かいます。
ミフィちゃんこだわりのお店はどちらかしら。
また、雪もパラパラ降ってきて足元が悪い状態ですが、見つけたお店は、休業。
うーん、もう一店舗は、夕刻のため閉店。
まぁ、ここでもいいかというお店でぱふぇいを食べて全日程終了しました。

帰りの新幹線はクタクタで、すやすやと眠りについた二人でした。


鈴虫寺の説法、あんまり書いちゃうと悪いですが少しだけ拝借。
「スマホ」になぞらえて、「素」「磨」「歩」の三文字で話されていました。
「素」直に、物事を受け入れて(どうしようもないものに抗わず)、その状態でとにかくできることを見つけて「歩」みを進め、常に心を「磨」いていけば、必ず幸せになれるのだという話だったのです。
うん、それはやっぱり大切よな。

あれ、京都二日目、龍安寺や甘味処、雪やパンの残り加減、期待との相違という怒りの種はあったかもしれません。
けど、それで歩みを止めることのなかった二人だったから、最後まで旅ができたのかもしれません。
途中ちょっと喧嘩しちゃったりしたから、心磨きはまだまだかもしれないけど。

26歳になったって、まだまだ人生では入口側です。
まだまだここから、次の旅へ。

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