僕は美術大学を講師をしていて、以前に15年以上担当していた授業の中でアンリ・マティスの切り絵作品「クレオールダンサー」を扱っていたことがある。その時学生に資料として配布していたのは僕の上司にあたる教授が用意してくれた画像データで、おそらくマティスの画集のページをスキャンしたものか何かで、授業開始当初からずっと使用していた。 僕は恥ずかしながら、今までずっと本物の「クレオールダンサー」がどういうものであるかをきちんと調べることもなく、本物は資料画像と比べてそんなに大差はないと
つい最近、入選すると期待していた大きなコンペに落選して落ち込んだことがあった。入選したらこうなって🎵、ああなって🎶、、、と自分の理想の未来を勝手に思い描いていたが、 落選の瞬間に築き上げた理想の城はあっさり崩れ去った。 物事や人に理想を期待して裏切られて落ち込むことはよくある。物事の結果はきっとこうなるはずだとか、人がきっとこうしてくれるだろうとか想像して、その通りではない結果に終わって一人で勝手に傷つく、、、。 人生は期待通りにはいかない。 そうとわかっているんだけ
母校である美術大学の非常勤講師をかれこれ20年くらい務めている。 始めた時は20代の終わり頃で、学生も20代だから歳の差はそんなに感じず、彼らはまあまあ歳の離れた後輩達という感じだった。 先日新しい授業が始まった。これまでは2年生を担当していたが、入学したての1年生に教えることになった。1年生に接するのは初めてなのでとても新鮮な気持ちだ。 年齢を考えると、1年生だと18〜20歳くらいなので僕と30歳ほども違う。 親子くらい離れているので、最近は学生が後輩というよりも「子ど
数年前から様々な「間」に興味がある。 絵画の中にある空白の「間」、音楽の中の無音による「間」など。 人の喋り方にも「間」が含まれている。 以前にお世話になっている実業家の方とそのスタッフの方達と一緒に旅行に行った時のこと。実業家の方は複数の会社を経営して大きなイベントの企画運営などもやっている才能ある方なので、一緒に過ごしていればいろいろと学べるのではと思っていた。 実業家の方の運転する車で移動中、詳細は忘れてしまったが、その晩泊まるホテルへの到着時間が遅くなるのでお願い
クリストファー・ノーランの新作映画「オッペンハイマー」を観に行った。 オッペンハイマーは“原爆の父”と呼ばれる物理学者で、政府から頼まれた仕事で他の有能な科学者達を仲間に引き入れて皆で一緒に原爆を開発する。 オッペンハイマーは天才科学者だけど、女性にだらしなく、憎いと思った人が食べようとしていたりんごに毒を仕込むなどの奇行も多い。 最初は良かれと思って原爆開発に参加し、完成した原爆が日本に落とされ戦争を終わらせたヒーローとして称賛されるけど、その後に続く政府の水爆開発に反
僕は物持ちがいい、と最近気づいた。 ある時仲のいい後輩が僕の服装を見て「その服、ずっと前から着てますね」と言われ、そう言われればそうだなと思って家で10年以上前の写真を見たら同じ服を着ていた。 基本的に家の中で仕事をしているし、インドア派なので服を着て外出する機会が少ないこともあるが、服に毛玉ができると取り除いたり、クツも汚れたら磨くなどモノを大切にしている方かもしれない。 最近自分でもこれは長持ちしすぎだなと思ったのが仕事で使っている机だ。おそらく小学5、6年生くらいの
毎週末にゲーム・オブ・スローンズを見ている。本当に面白くてハマっている。昨日やっとシーズン3・第9話「キャスタミアの雨」を見終えた。 (↓↓↓ 以下ネタバレあり ↓↓↓) この回の最後が衝撃的だった! おそらく大多数の視聴者が共感できるメインキャストで正義側の一族の数人(僕も思い入れが深かった)が裏切りによってあっという間に殺されてしまうのだ。場面はその一族側の仲間の結婚式。飲んで歌って騒いでの楽しく平和なシーンが一転して殺戮シーンとなり、息を呑む。 え〜!?この人もこの
僕はグラフィックデザイン、イラスト、アニメ制作のほぼ全ての工程をデジタルで行う。だから20代の頃から朝から晩まで常にモニターを見っぱなしだ。 イラストやグラフィックデザインなど静止画を制作している時は、モニターの中で画像を拡大して細部を作り込んだり、縮小して全体のバランスを確認したりを繰り返す。 作業をしていると徐々に、自分がモニターから離れて眺めてみるなどし始める。そして離れて見つつ、首を90度くらいに傾けてじっと画面を見つめたりし出す。 他人が見たらかなりおかしな光
5歳の時に自分で作った絵本を保育園の先生にプレゼントした。先生はその絵本を園の部屋に飾ってくれて、とても嬉しかったのを何となく覚えている。 それが僕の原体験だ。 20代の頃、この先の人生をどう生きていこうかなど考えていた時にこの体験を心の拠り所にしてクリエイター活動を始めた。 「作品を作って誰かを喜ばせること」 いろんな思考に囚われていない5歳の自分こそが本来の自分で、その自分が自らの衝動でやったことなのだから、大人になっても同じ活動をすることが一番正しくて幸せな事の
動画生成AI「Sora」で作られたムービーを最近よく目にする。最初見た時に思った。 うわー、すごい!こんなリアルに簡単に作れちゃうの!? これから映像クリエイターの大勢が仕事を失っていくかもしれない。 僕が大学生の頃にAppleのPCをクリエイター達が使い出した頃を思い出した。僕はグラフィック制作などの行程の全てをPCで始めた最初の世代だ。デザイン業務などでは、それまで手仕事でやっていた労働をPCで簡単にできるようになって多くの職人が仕事を失ったのではないだろうか。
最近、今更ながら「ゲーム・オブ・スローンズ」を見出した。その登場人物の中に「ティリオン」という身長135cmくらいの背の低い俳優が演じているキャラクターがいる。大金持ちの貴族だけど、一族からは蔑み嫌われていて、毎晩のように娼婦と酒を飲んで遊んでばかり。典型的な放蕩息子といった感じ。 そのティリオンが物語が進むに連れて、他人に対する思いやりがあり、知性も高く、愛する女性に対して弱くナイーブな面を見せるなど、人間臭くて魅力的に見えてくる。 序盤ではどうしようもないキャラクター
僕の弟はアメリカで結婚してペルー出身の奥さんと一緒にペンシルベニアの森の奥で3人の男の子を育てている。その甥っ子たちは長男が16歳、次男15歳、三男が14歳で現地の一般の学校に通っている。その彼らの学校の成績がとても優秀らしく、長男が先日学年1位になり、下の2人もかなり成績が良い。と言って甥っ子自慢をするつもりではなく、その理由を書きたい。 僕自身は3人兄弟で、弟2人は勉強は嫌いで僕も真面目で成績は良かったけれど学年1位なんてとったことないし中学校受験で落ちたりで、そんなた
少し前の話だけど、アメリカのアカデミー賞の授賞式で受賞した白人俳優の態度がアジア人差別だと騒がれてニュースになっていた。僕が最初にそのニュース記事をネットで見た時、見出しに「アジア人差別」とあって、次に実際の映像を見たので本当に差別しているように見えてしまった。でも、何も知らない状態で映像を見ていたら同じ見え方になっていただろうか? 気になったので、すぐに他のサイトを調べてみたら受賞式の後にその白人俳優と差別されたとされていたアジア人俳優が仲良く肩を組んで撮影された写真があ
最近「アートアニメーション」と呼ばれる種類の作品を頻繁に視聴している。アートアニメとはディズニーやピクサー、日本のマンガ原作のアニメなどの商業的エンターテインメント作品とは違い、もっと作家性や芸術性の高い作品のことだ。 僕はエンターテインメント作品も大好きだけど、アートアニメにはそれとは違った独特の魅力があり、芸術的な価値や深いメッセージ性のある作品も多いので勉強を兼ねて積極的に見るようにしている。 アートアニメの殿堂として有名なのがNFB(カナダ国立映画制作庁)で、19
横浜トリエンナーレに行って久しぶりに現代アート作品を見てきた。普段は印象派とかクラシックな絵画の展示を見る事が多いけど、そればかりだと頭の中も「クラシック」になっちゃいそうなので、なるべく新しいものも見るようにしている。 会場に入って迎えるのは奇妙で一見訳の分からない作品ばかり。クラシックな作品は見た目がわかりやすく、「きれい」「幻想的」「しぶい」などの印象が頭にすぐ思い浮かぶけど、現代アートは、、、 どう理解して良いのか分からず思考が混乱する。 でもそれが刺激的で面白
画家のピカソは「子供のような絵」を描くことを目指したと言われています。そして晩年に「ようやく子どものような絵が描けるようになった」と語っていたそうです。 僕は以前にスペインのピカソ美術館を訪れ、彼の晩年の自画像を見たことがあります。 その絵は自由奔放な線と色使いで構成され、確かに子供が描いたような絵でした。でもぱっと見の好き嫌いで言うと、僕は普通の子どもの絵の方がワイルドで魅力的だなあ、と感じました。ピカソの絵は一度習得した高度な描写技術をあえて捨ててたどり着いたスタイルで