見出し画像

本物を見て知ること

僕は美術大学を講師をしていて、以前に15年以上担当していた授業の中でアンリ・マティスの切り絵作品「クレオールダンサー」を扱っていたことがある。その時学生に資料として配布していたのは僕の上司にあたる教授が用意してくれた画像データで、おそらくマティスの画集のページをスキャンしたものか何かで、授業開始当初からずっと使用していた。

僕は恥ずかしながら、今までずっと本物の「クレオールダンサー」がどういうものであるかをきちんと調べることもなく、本物は資料画像と比べてそんなに大差はないと思い込んでいた。唯一、本物はかなり巨大だということを知っていたくらいで、切り絵なんだから切りとられた個々のパーツは色紙で質感も同じ感じだろうと勝手に考えていた。

そして先日マティスの展示会「マティス 自由なフォルム」を見に行き、初めて本物の「クレオールダンサー」に出会った。大きさもパーツの質感も全てが、

想像と全然違った!


大きさは情報としては知っていたものの、本物の存在感は圧倒的だった。切り絵のパーツも、色を塗った跡がくっきりと模様のように残っていてそれぞれ違う質感に見えるし、切り取った跡のエッジもなめらかな部分もあればギザギザに粗い部分もあり、手作業の痕跡を感じさせる。これらは授業で取り扱っていた資料画像からは感じられなかった情報だった。

僕は長い間「クレオールダンサー」という作品を"知ってる"と思い込んでいたが、実際には作品の情報を簡略化した「アイコン」のようなものを知っていただけで、本物はもっといろいろな情報に満ち溢れて見応えのあるものだった。


マティスの切り紙絵「Blue Nude」


僕は絵画などの美術作品はなるべく美術館で本物を見るように心がけている。マティスの他の作品もいろいろと本物を見たことはあったが、「クレオールダンサー」は見る機会がなかった。

改めて本物を知ることの大切さを知った。長い間、本物を見ることなく知ってるつもりで「クレオールダンサー」を授業で取り扱っていたことを恥ずかしく思う。その授業はもうなくなってしまったので今更だが、ようやく本物と出会えて感激した。

展示会の会場で作品と対峙した時、心の中でつぶやいた。

やあ、やっと会えたね。びっくりだよ。本物の君はこんな姿してたんだ!


本物の作品を見るべき理由にもうひとつ、誰か他人にその作品についての話をする時に、本やネットから得た情報を伝えるよりも自分で本物を見た感想や印象を伝えたほうが説得力が出てくると思う。情報の臨場感みたいなものが生まれると思うのだ。

本物を見に行くのは面倒くさい。時間もかかるしお金もかかる。でもそれ以上の価値を得られる。

今はネットで何でも簡単に手早く調べることができ、画像や映像を見るだけで知った気になってしまう。でもモニター上のデジタル情報と、本物が持っている情報は圧倒的に違う。本物はもっと豊かな情報に満ちている。
当たり前のことだけれど、そんなことを改めて痛感させられた展示会だった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?