「なぜ本質は地味なのか」
2020年に完成した神奈川のご夫婦のマンションリノベーション。
先日久しぶりに宅飲みに誘われてお邪魔してきた。
収納体積は空間全体の10%程度で構成することが多いが、今回は20%程度。
取っ手を出来るだけ使わず、隠し扉的にして存在感を消す。
エアコンだけが本当に心残りで殺して欲しいくらいだが、マンションのステータス的に他の場所に取り付けができなかった。
40年前にこのマンションを設計した方を心底軽蔑する。
中間梁の梁成が大きく、床高さを作れなかったため、今回はペカンナッツの直貼フロア。
建具は全て職人さんにお願いして、薄ベニヤ貼りのフラッシュ構造でAEP、05-90程度。
トータルの色彩数が少ないとミニマル過ぎて意図しない緊張が生まれるので、壁と建具は3つのカラーコントラスト。
それぞれ05-90、05-80、05-70とした。
テレビモニターは断固拒否したし、先日も「このテレビ捨てて良いですか」と聞いたがダメだった。
テレビとスマホとPCを捨てた方が人類は幸せになる。
18坪程度の広くない空間のため、玄関スペースを居間と一体とした。
土間部はモルタルを均して防塵塗装、今回はアシュフォード。
収納の扉の取っ手を無くすことを考えた時、取っ手がいかに地味で素朴で無名な発明だったかに気づいた。
「自宅の扉全てが自動ドアです」とかでない限りは取っ手を使ったことがない人はいない。
それだけとてつもない発明とは裏腹に取っ手を発明した人が誰なのか?とか、取っ手をビジネスとしてスケールさせた人が誰なのか?みたいなことは分からないままだし、興味すら持たない。
魔法のようなハードウェアや、世界を食うソフトウェアみたいな劇的で魅力的なものとは違って、取っ手のような革新は本質的過ぎてそのイノベーションに誰も気が付かないのではと。
取っ手が生まれた事で、ただの箱がパーソナルを包み込んでくれる空間となり、雨風や暑寒を凌ぐことができるようになった。
ただの箱が「建築」や「インテリア」という肩書きと役割と意味を与えられ花開く。
全く素朴で全く無名で誰にもチヤホヤされないような取っ手のような発明に気づいていられる人間でありたいし、僕が作るものもそうありたいと強く思う。
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