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「やる」と「やってみる」の違い

人と話している時、何か相手にとって有益だったことをおススメされたりする時に「へー、いいね!私もやる!」という時と「へー、いいね。私もやってみる。」という時がある。

「やる」と「やってみる」はどっちも同じようにも思えるが、そこには大きな差があると思っている。

「やる」と答えたときは、本当にそのことに興味を持ち、本心からやりたいと思っている時で、「やってみる」と答えたときは「いいのは分かるけど、自分にはフィットしないな」というような時だ。

カウンセリングをしているときも、脇見恐怖症の改善方法について提案している時、クライアントさんが「やります」と言うか、それとも「やってみます」と言うかでどれだけクライアントさんがその提案にピンときてるか測ったりしている。私には合う改善方法でも、みんなにフィットするとは限らないから、そういう時は他に何か提案できることはないかな…この人にピタッとはまるやり方はなんだろう?と次の手を探す。

この「やる」と「やってみる」の違いは私のなかの漠然とした感覚だと思っていたが、そのことについてヒプノセラピーの本に記述があった。

この本によれば、「・・・してみる」という言葉には、やる前から疑っている姿勢があると書かれている。

「~してみる」という言葉には、やる前から疑っている姿勢がある。セラピストがクライアントに「リラックスしてみてください」と言うと、反作用の法則が働いて、リラックスしようとすればするほどできなくなる。
クラズナー博士のあなたにもできるヒプノセラピー

なるほど。だとしたらカウンセラーのほうも、何かを提案するときに「ぜひやってみてくださいね!」とは言わないほうがいいんだな。昨日も一昨日もnoteの記事にワークを載せて「書き出してみましょう」って書いちゃったな…
noteのワークにしろ、カウンセリングでの提案にしろ強制はしたくない。だから相手の方に自由に選択してね!という意味を込めて「やってみてね」と言ってるんだけど…うーん。難しい…

人と何げなく喋っているとき、自分が「やってみようかなー」と言ってるか「やる!」と言っているかでそのことに対する自分の本心からの興味関心度が分かるから、意識するといい。

でも本当を言うと「やる!」と言ったことも、実際に行動に移す人はかなり少ないんじゃないかと感じている。実際に私も「絶対やる!」と決めてやらなかったことも、やったけど途中でやめたことも山ほどある。

だから、私のカウンセリングをずっと継続してくださっている方々にはとても感謝している。
私の提案を行動に移してくれて「よくなった!」と言ってくれる方がいると「こちらこそ行動してくれてありがとう!」と思う。

自分のために「やる!」と決めて行動することはとても尊いことだ。そしてその取り組みの中での人との出会いもとても尊い。
カウンセリングでも、オフ会でもそこでの出会いは宝物だ。


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