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「&So Are You」第三十話

ハンナからの手紙

 次に届いたハンナからの手紙は、ぼくとグレッグへの連名になっていた。

「ベン、グレッグ、
 君は、僕に「すべてを失う」と言っていたね。あのときの僕は、その意味がまったく理解できていなかったけれど、今になってようやくその言葉の重みがわかるようだ。

「すべてを失う」とは「命」のことなんかじゃなかった。この戦争で、僕は自分を含め同胞たちの命を何度も失いかけたし、実際に失った。でもそれだけじゃない。今の僕は人格すら失いかけている。

 戦争という名の大義名分に従い、これから僕は敵の命をどれほど奪うのか、どれほど屍の上を歩いていくのか。そしてやがて僕もその屍山の一部になってしまうんだろうか。 

 異国の地で、いずれ僕も誰かに殺される日が来るんだろうか。祖国アメリカで人を殺せば極刑だ。この地で敵を殺せば英雄か。人を殺す行為になぜ種類が存在するのか。

 僕にもわかるように識別票ドッグタグをつけてくれないか。

 夜明け前、陽の光が部屋に差し込む前に、君の眠るベッドに潜り込んで君の寝息を感じていたい。眠る君の唇を指でなぞって「おはよう」とそっと囁き、新しい一日の始まりを告げていたい。

 ハンナ……。

 ここはまさに地獄だよ。

 薄闇の森林に溜まる泥水にジャブジャブと銃声と血肉の臭いが混ざり合う。もしもこの中に人間らしい人物がいたなら、そいつは最も怪しい――人の皮を被った悪魔だ。

 僕はまだ失う物を持っているだろうか。いつか取り返せる日がやって来るのだろうか。 

 今は義務期間が一秒でも早く過ぎ去ってくれないかと、そんなことばかりを考える毎日だ。

 なぜ、僕たちはこんな思いまでしてこうしてここにいるんだろう。
 こんな疑問で毎日溺れ死にそうだ。狂気と恐怖が支配するこんな場所が、この世界のどこに、他にも存在するというんだろう。

 ハンナ……君だけが唯一の光だ。ただ毎日君を想う。

 あなたたちが毎日、不慣れで過酷な環境と、言い表せないほどに凄惨な状況の中で常に命の危険にさらされて、そうした絶望的な状況下でも無事に生きていてくれていることに、感謝の気持ちでいっぱいよ。

 ふたりが今、どれほどの恐怖や苦痛、疑惑の中に自らを沈めているのか――当事者ではない私には計り知ることはできない。大戦の話を聞いたところで、実際に経験をしたことのない私たちの世代では、戦争がいかに恐ろしいのか説明ができないのと同じことね。

 学生だった頃、教職課程で受講していた応用心理学のクラスで帰還兵の話を聞いたわ。大戦から生きて戻った兵士たちに遺る心の傷について。

 戦地に赴いた兵士たちの多くは、加害者意識と被害者意識の両側面から精神的苦痛を受けて心のバランスを崩してしまうといっていた。体に受けた傷はやがて癒えても、心に負った傷は消えにくい。

 どんな大義名分があっても、つまりは人間同士の殺し合いよね。殺す側も、殺される側もそれぞれ属す側が、真っ向から相反する大義を掲げているだけ。
 命乞いをして泣き叫ぶ兵士がどんな顔をするかなんて、トップの司令官たちはきっと興味もないでしょう。常軌を逸した環境は、恐怖と狂気を呼び人々に感染する。そのツケを払わされるのはいつだって最前線で戦う者たち。

 アメリカは、これまで他国に対して傲慢で、横暴だった。それは自国民に対しても同じこと。わたしたち一人ひとりに対しても独裁的な権柄《けんぺい》を奮っているのよ。国の優位を保つため、国民が犠牲になってもやむを得ないと思っているんだから。

 でもそんな横暴は長くは続かない。人は過去からいろいろなことを学び考え、今と照らし合わせることができるし、そこから新たな可能性を見出だすことだってできる。

 それが今の反戦運動に繋がっているんだと私は思うの。皆、気づき始めているのよ。この戦争がいかに無意味で無価値で、そして無慈悲なものかってことに。

 武器を手に取り、戦地に赴くことだけが愛国心だとは思わないわ。この巨大な国に対して、一人ひとりが勇気を持って声を上げ、立ち向かっていくことだって、国を愛するからこその正義よ。

 この小さな波紋は、やがてアメリカ中に広がる大きな波紋になって、無敵とうたわれたアメリカの膝を折ることになると信じてる。

 だからベン、あなたも信じて。自分らしさってものを。
 たとえ罪の意識に潰れそうになっても、今は生きて帰ることだけを考えて。あなたは一人じゃないわ、グレッグがいる。そして彼にもあなたがいるからお互いに助け合えるはずよ! 

 後のことは帰ってきてからゆっくり考えれば良いわ。
 とにかく私は、あなたたちが無事で戻ることだけを信じて、帰りをここで待っているわ。

 
 P.S.
 湖は今日も穏やかであの頃と何も変わらない。最近では、毎日のようにパパが私を湖に連れていってくれるようになったの。もちろんおばさんも連れてね。

 そうして思い出に浸りながら、湖の静謐せいひつな佇まいを眺めている。

 ベンやグレッグのご両親も頻繁に様子を見にやって来てくれるの。あなたのお父さんはやっぱり不器用で頑固ね、あなたに似て。でも本当は愛に溢れた人だってことがよくわかったわ。
 初対面の印象がお互い最悪だったから、打ち解けるには時間は掛かりそうだけどね。

 グレッグのご両親はグレッグそっくりで可笑しかったわ。すごくお喋りで、二人とも大きな口で笑うの。とても私に良くしてくれる。

 早くあなたたちの元気な顔が見たいわ。
 皆、帰りを心待ちにしてる。

 愛してるわ、ベン」

 後方の病院へ送られていたグレッグが帰ってきた頃、僕たちはハンナの手紙を開封して二人で読んだ。

 彼女の綴る、一文字一文字が愛しくて堪らなかった。

「本当、お前にはもったいないぐらいの良いワイフだよ、ハンナは」

 グレッグが僕をこつく。今は彼女を想う時間だけが僕にとって唯一の救いだ。

「俺が負傷したときの話はエーカーから聞いたよ、チャズには悪いけど、お前が無事で俺は本当にうれしいよ」

 グレッグは、手元のビールを一気に飲み干した。

「なにがなんでも生きて帰らなくちゃな……たとえ敵兵を何人殺してでも、ここで死ぬわけにはいかないんだ。必ず生きて戻らなくちゃならないんだ!」

 自分に言い聞かせるようなグレッグの言葉が、僕に重くのしかかった。

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