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「獏」第十六話

第四章

漠々ばくばく
(1)

 次の日も寒かった。いつものように出発し、イケモトからの電話を取る。すると珍しくハンサムがいて、イケモトとすでに話をしていた。
「ハンサム? お前もういるのか? まだ出発前だろ、珍しいじゃねーか、こんな時間にお前がいるなんて」
『D.J.~、聞いてくれよぉ』
 情けないハンサムの声の後ろで、イケモトの忍び笑いが聞こえる。
『D.J.お前の予想が当たったみたいだ』
「イケモトおはよう。予想って?」
 何のことかわからずに訊き返すと、ハンサムが今にも泣きそうな声で話し始めた。
『昨日、仕事帰りにB.F.から連絡があってさぁ、来週から競技場を俺のコースに付けるって言い出したんだよお』
「ええっ? マジか?」
 俺はやっと昨日の冗談を思い出し、嘘から出たまことに驚く。
「しかしB.F.の奴、本当に実行に移すとは、ますます情けない奴らだ……」
『な、予想が当たっただろう?』
『予想ってなんだよぉ、お前らひどいよー。無理だよ、無理ぃ!』
 上からの指示なら、末端の俺たちに断る術はない。本当にかわいそうだが、かけあったところで結果は目に見えている。
 それにしても、自分がやりたくないからといって人になすりつけ続けていたら仕事なんて成り立たない。現場未経験の新人ならまだしも、仮にも主任と主任補佐。過去にはしっかり現場を経験している。そんなやつらが二人掛かりでを上げるなんて、こんなに情けないことはない。しかもハングマンに至っては、ことあるごとに自分が誰よりも仕事が出来ると豪語しているとんだ勘違い野郎だ。これで少しは自身の残念さを実感して、クビを切ったジャスティスの有り難みを悔やんでくれればいいんだが……。
 やがてアトラスが合流する。ハングマンとB.F.が競技場を放り出したことを伝えると、大笑いしていた。
『いやハンサム、笑って悪い。だか本当にあいつらは残念だ』
『ひどいよアトラス。はぁ……それにしても競技場かぁ……新規でラーメン屋は増えるし、競技場まで付くしで、出発時間をもっと早めないとだなぁ。あぁぁぁぁ~。あそこは開くのが朝五時からだろぉ~? だからえっと、あっち先行って、んで……あぁー、それじゃ間に合わない。うぁぁぁ~』
 ハンサムが呻きたくなる気持ちもわかる。
 俺たちの仕事は歩合制じゃない。何件回収しようが、何時間運転してようが給料は同じ。回収件数の多い奴も少ない奴も、皆給料は横並びなんだ。
 なぜそんなことになるのか?
 それは俺たちの回収作業内容にばらつきが発生するのが当たり前の仕事だからだ。夜中に出発する俺たちのような社員もいれば、客の都合で昼間にしか出発出来ない連中もいる。夜中でも回収出来る店もあれば、夜中は困ると言う店もあり、ゴミの多い店もあれば少ない店もある。
 じゃあ、個人の仕事量として、一体何を基準にすればいいのか? 走行距離? 労働時間? それとも物量?
 答えはその三つともだ。そこに個人の能力が入ってくると、またバランスが変わってくる。つまり、一人分の業務はこれだけ! とはなかなか測り分けできない難しい仕事なんだ。

 午前三時前頃、疲れが出てきて沈黙が増える時間だ。誰かがパッカーを降り、回収する音が聞こえてくる。次の瞬間、その誰かが『おぇぇえぇ』と嗚咽を上げ始めた。
 ハンサムだった。理由はすぐにわかった。
 最近急激に数を増やしている老人介護施設のゴミだ。
『おえぇっ! 老人ホームのゴミだけは、本当に勘弁してほしいよぉっ』
 老人介護施設から出るゴミはかなりの重量がある。その理由は、老人たちが履いている紙おむつにあった。
 この紙おむつ、実は相当に厄介な代物。一枚の可燃ゴミ袋に何十枚もの使用済紙おむつが入れられている。そのさらなる中身まではわざわざ説明しなくてもわかるよな? 大昔に成人を迎えた男性がしこたまためこんだ尿を蓄えた高分子吸収剤入りの紙おむつがぎっしり入ったゴミ袋。想像してみてくれ、とにかく相当重たい。やっとの思いでパッカー車に放り込んでも、まだ安心は出来ない。
 パッカーというのは、バケットの中に放り込まれたゴミを回転する爪で車の中へと巻き込んでいく仕組みになっている。しかしその爪は、バケットの底スレスレを掻き込む訳じゃない。少し隙間を空けて回転する仕組みになっている。当然、バケットに放り込まれたゴミは、袋を破ることなく丸々ときれいに呑み込まれていくものもあれば、中身を散乱させ、ぐしゃぐしゃになって潰されながら積み込まれていくこともある。
 紙おむつで怖いのは後者の方だ。なんせ、袋から零れた紙おむつの中身が、バケットの中で地獄絵図を描き出すからだ。夜中の仕事だし照明もないから、実際には暗くてはっきりとは見えないものの、香しい臭いだけはしっかりと漂ってくるので、豊かな想像が容易に湧いてしまう。
 つまり、ハンサムは今まさに涙目だってことだ。
『おいハンサム、生きてるか? 調子良くパッカー捲きすぎて、アレが飛んでこないように気をつけろよ?』
 軽い口調でアトラスが言うが、応答はない。変わらぬ嗚咽と爪が回る駆動音が響くだけ。つまりお手上げってことだ。
 ハンサムの嗚咽を聞きながら、俺たちは笑っていた。
「しかし、老人ホームって最近目茶苦茶増えたよな?」
 俺がそう言うと、イケモトがいつもの蘊蓄を語り始めた。少子高齢化が進み、老人の数が爆発的に増えているからだとイケモト博士は語る。
『何かの番組で見たんだけどさ、日本には年間、何千人って失踪者数が出てるんだよ。そのうちの何割かが老人なんだってさ』
『ああ、そういえば、夜中道路みちを走ってると、よく老人が徘徊してるよな』
 思い出したようにアトラスも呟いた。
 失踪って聞くと、何かしらの事件に巻き込まれ、帰りたくても帰れない人たちを俺は連想していたが、徘徊老人みたいに、自分で自分を神隠しさせるすご技パターンなんかを考えると、ひょっとしたら近い将来、失踪者の大半が老人なんてことにもなるのかもしれない。
『あー、気持ち悪りぃ……』
 げんなりとした声でハンサムが呟く。
 俺のコースにも何件かは老人ホームが含まれている。だから他人事じゃない。赤ちゃんみたいに、おむつが汚れるたびに老人は泣かない。どういうことかって? 何回分かわからない排泄物をしこたま吸収した後の使用済み紙おむつは、一枚だって結構な重さがある。それが可燃の袋の中でひしめき合ってるのを考えただけでも嗚咽もんだろ。
『うわー、暗くてよくわからないけど、捲いたときに弾けて中身が飛んできたかも……』
「大丈夫だ、ハンサム。糞も滴るいい男だぜ」
『あぁ……ありがと、D.J.お前も糞喰らえ』
 そんな俺たちの会話を聞きながら、イケモトもアトラスも笑いっぱなしだった。
 二人の笑い声を聞きながら、俺はふと興味が湧いた。あの紙おむつってのは、一体どのくらいの量を吸収出来るのか。普段、俺たちが事務所に提出している報告書には、回収先と、回収したゴミの袋数、重量などを記入している。
 しかし何十件と回収先を持ってるわけだから、わざわざ一袋ずつ重さを計ったりなんてしていない。ぶっちゃけ丼勘定ってやつだ。
 回収先への料金請求のやり方は、大きく分けて三つある。
 第一は、契約した最初の月に出されたゴミの重さを計り、その重量を基準とした定額料金を請求する方法。
 第二は、その月に出たゴミの総重量を月末にきっちり計算して請求するやり方。
 最後は、各ゴミ屋毎に作成している〝シール〟を買ってもらい、出すゴミにそのシールを貼って出してもらうやり方。これは喫茶店なんかにあるコーヒーチケットのゴミ版だな。
 大抵の事業所は一番目か二番目の方法を取る。三番目は滅多にゴミを出さない事業所くらいのものだ。
 当然、毎日のようにゴミを出す老人ホームも、一番目か、二番目の、そのどちらかの請求方法なのだが、実際回収する俺たちの計り方は適当過ぎて、回収すればするほど会社は赤字だろう。ゴミが増えていこうが、本社が赤字になろうが、知ったことじゃない。いちいち真面目に計量して報告したって面倒なだけだ。本社がそれをきちんと処理するとも思えない。
 まあどのみち請求額を後から変更することなんて出来ないのだが、真面目に計ったら、一体どのくらいの重さを毎日積んでることになるのか、今更だが単純に興味が湧いた。
「なぁ、誰か知ってるか? 紙おむつ一枚がどのくらいアレを吸収出来るのか」
 すると、我らの蘊蓄博士が答えてくれた。
『なんかの実験でやってたのを見たことがあるけど、確か一リットルくらいじゃなかったかな?』
「一リットル⁉」
 あのペラペラの紙おむつ一枚がペットボトル二本分のアレを吸収するってのか? じゃあゴミ袋一枚に三〇枚分の紙おむつが入ってたとして……。
 俺が黙りこくって、そもそもない脳みそをフルに使い計算しようとしていると、イケモトが言い出した。
『D.J.お前今、おむつの入ったゴミ袋が一体どのくらいの重量があるのか計算してるのか? だとしたら無駄だぞ? なんせ、吸収してるのは水分だけとは限らないし、一回の排尿の量はせいぜい二〇〇~四〇〇くらいだからな?』
  まったく、この男の勘の鋭さには脱帽だ。
『しかし、お前って本当に物知りだよな』アトラスが言う。
 イケモトほど博識で頭の良い男が、うちみたいなゴミ屋で働いてるのも不思議なものだ。
『最近調べたばっかりだったんだよ』
 イケモトが謙遜するように言った。
「紙おむつのことをか? それとも、人のしょんべんの量をか? なんでそんなもんを調べるんだよ」
『人を変質者みたいに扱うなよ。言ったろ? 紙おむつはなんかの実験映像で見たんだ。排尿の量は最近調べた人間の体の水分量ってサイトに載ってたんだよ』
 この先生は根っからのお勉強家のようだ。

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