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「LoOp」第六話

卯月未依(2)


 翌日も仕事帰りに『LoOp』に立ち寄ると、昨日と同じにオーナーは優しい笑顔で迎えてくれた。
 カウンターに着くとフルーツパンケーキとスムージーを注文し、明日さっそく無料で行われるセミナーに彼が参加することになったと伝える。
「これは、近々強力なライバルが誕生するかもしれないですね。僕、自分の首を絞めるようなことしちゃったかな」
 冗談めかして笑うオーナーと店の内装のことなどを話し込んで店を出ると外はもう暗い。
 朔良が待っている、そう思ってすぐに電話したけれど彼は出なかった。
 そのまま自宅に向かっていると近くの道路で夜間工事をしている。通行止めだ。家はすぐそこなのに。通らせてもらおうとお願いしてみたけれど「申し訳ありませんね。狭い通路なのであっちから回ってください」と追い払われる。
 途端に明るかった気持ちが沈んでいく。夢が近づいたと思ったら、遠退くような気分がよぎり暗い気分になった。
 仕方なく回り道をしていると朔良から電話がかかってきた。
 気持ちを取り直して元気な声で応えると、まだ外にいるらしい彼から予想外の言葉が返ってくる。
「ああ、未依、今日は夜間バイトになるから帰れないんだ」
 明日はセミナーなのに……泣きたくなる気持ちを飲み込んで、元気に言った。
「少しは眠れるといいね。おやすみ朔良!」
 電話はすぐに切れた。

 自宅に帰り着くとビール片手のいつもの彼はいない。
 一人で過ごすのなんて本当に久しぶりだ。不思議と新鮮な気持ちになる。
 早めに布団に入るけど、なんだか落ち着かなくて寝つけない。あたしは起き上がると、パソコンで朔良のバイト先からの電車の経路を検索した。
 セミナーの開始は十一時だから、もしかしたら少し眠れるかもしれない。
 ぎりぎりまで寝かせてあげたい、そんな気持ちで間に合う電車の時間を調べると、メールでまとめて朔良に送った。
 しばらく待っていたけど返事はなかった。
 暗闇の中で「おやすみ」ってもう一通送ってから目を瞑る。
 翌朝目覚めて確認すると返信はまだなかった。あたしは不安になる気持ちのまま、職場へと急いだ……。

「卯月さん、新規のオフィス内装案件があるんだけど、その企画のプレゼンを明日手伝ってくれない?」
 昼食を終え、午後からの仕事に取り掛かろうとしていると、先輩がやって来た。
「え? 本当ですか!」
 プレゼンを手伝わせる、これはうちの事務所では新米が独り立ちに向かうときの伝統になっていた。
 後輩にプレゼンの協力を求めるというのは、つまり実力を認めてもらえたということだ。
「あ、ありがとうございます! 私……頑張ります!」
 返事をしながら、心の中で「よしっ!」と大きくガッツポーズを取る。
 誕生日にリングを貰い、その縁で『LoOp』を知り、朔良が夢を持ち始める。
 職場では先輩から認められ、人生の歯車が急に噛み合って、順調に回り始めた気分だ。
 そうだ! あのリング、ペアにできないかな? きっと朔良も喜んでくれるはず!

 雑貨屋『LoOp』はあたしの心のオアシスになりつつある。
 この店のお洒落な空間と雑貨たちに囲まれながら時間を過ごしていると自然と疲れも吹き飛んだ。
「お揃いのリングを作ってもらえませんか」
 それを聞いたオーナーは、驚いて笑みを浮かべた。
「実は作ってあるんですよ……といってもまだ仕上げの磨きが残っているんですが、女性用のリングは完成した日に売れたので、どうしようかと悩んでいたんです」
 オーナーは完成間際の男性用のリングをカウンターの下から取りだして見せてくれる。男性用のリングは女性用よりも少し肉厚で、こちらもとても素敵だった。
「明日までには完成するんですが、未依さんの方のサイズ直しの道具がまだ届いてないので、明後日には揃って渡せると思います」
 あたしはそれで了承し、彼に早く伝えたい気持ちを抑えながら足取り軽く帰宅した。
 玄関を開けると、部屋にはビール片手にテレビ鑑賞するいつもの朔良がそこにいた。
「セミナーどうだった⁉」
 声が少し上擦っているのが自分でもわかる。
「おう! なんとなくだけど、なんていうか未来のビジョンが見えた気がしたよ!」
 オーナーの言ってた通りだ!
 朔良のやる気にあたしの気分も盛り上がり、つい興奮して夢の具体的な話をしようとすると、彼は話をはぐらかした。
 きっと慣れないセミナーに行ったから疲れたんだろう。今は仕方ない、休ませてあげなきゃ。
 あたしは興奮する気持ちを抑えてシャワーを浴びにいった。

 浴室から出てくると朔良はもう寝てしまっている。髪を乾かして、隣へそっと入ったけれど高ぶる気持ちでなかなか寝つけなかった。
 翌朝目覚ましが何度もスヌーズしてようやく目を覚ます。なんとか体を起こすものの依然頭の中は眠ったままだ。
「なぁ未依、リングどうしたんだ?」
「え? ちゃんと持ってるよ」
 出掛け間際、突然朔良がリングのことを訊いてきた。あたしが着けてないのを気にしてるんだろう。
 早くサイズ直しして、お揃いで身に着けたい。朔良がせっかく選んでくれたプレゼントなんだから。
 虚ろな頭の中でそう考えていたら、あたしは企画プレゼンのことを思い出した。
「あぁ! 今日はプレゼンの日だ!」
 一瞬で頭が冴えたあたしは、大急ぎで職場へと向かった。

 幸運にも、その日の会議は午後からで準備をする時間は充分あった。けどもしこれが午前中だったらと思うとぞっとした。資料をまとめ、先輩との事前打ち合わせもしっかりできたおかげで、いざ本番では二人とも充分な手応えを感じていた。
 どうやら企画は通りそうだ。
 仕事を終えると、いつものようにオアシスへ向かう。店内に響くボサノヴァがあたしの心を癒し、軽食と珈琲が空腹を満たす。
「彼氏さんの方はどう?」
「おかげ様で、セミナーに行ってから、何かを感じたみたいです」
「それは良かったね! ところで相談なんだけど、お店の経験も兼ねて、彼氏さんの空いてる時間だけでもいいから、うちでバイトしてくれないかな?」
 突然の申し出にあたしは喜び驚いた。
「でも、一体どうして?」
「良い経験になると思って。僕もこの店を始める前は先輩のお店を手伝って、色々と学ばせてもらったから」
「波柴さん……ありがとうございます」
「はは、大袈裟だな。それより明周でいいよ」
 あたしたちの夢の実現のために協力しようとしてくれるオーナーの優しさが本当に嬉しかった。少し涙目になりながらお礼を言うと、何かしなくちゃ気が済まない気分になり閉店の手伝いをした。
 帰りの夜道をオーナーと話しながら歩く。店を少し進んだところでオーナーと別れ、あたしは自宅へと向かった。
 気持ちが高ぶって家に着くのが待ちきれない。一刻も早く話をしたくて、歩きながら朔良に電話をした。
 電話越しの彼はとても疲れた声をしていた。聞けばバイトの応援を頼まれたらしく、今日は帰れないとのことだった。
「そっか……」
 とても疲れてるんだろう。リングのためにお金をたくさんつかってしまったと言っていたし、最近休みなく頑張ってるのも、もしかしたらこの先のことを少しずつだけど考えてくれてのことなのかも。
 それにしてもしんどそうな声だ。きっと今は話すべきじゃないんだろうな、そう感じたあたしは、この朗報は後の楽しみにとって置こうと思い電話を切った。
 自宅に帰り着くとビール片手の彼はいない。今日はたくさんたくさん話したかったのに。
 この腕の中にしっかりあるはずの抱きしめるものが、頼りなくすかすかとしていきそうな寂しさを覚えながらあたしは眠った。

 翌日の木曜はいつもと違っていた。彼がいないのもそうだが、仕事帰りに『LoOp』へ行くと店が閉まっていたのだ。
 オーナーは休みのことなんて言ってなかったのに、定休日だろうか? でも彼がリングを買って来てくれたのは先週の木曜だったはず。理由はわからなかったが、お店が開いてないものは仕方ないと思い、その日はそのまま帰宅した。
 今日こそ『LoOp』でのバイトの件を彼に話さなくちゃ! 足取り軽く帰宅すると、そこに朔良の姿はまたなかった。電話をかけてみると、どうやらまたバイトに引っ張られているようで帰れないと言われた。
 あたしはなんだか急に黒い雲に覆われた気分になる。上手く噛み合っていた歯車がまた噛み合わなくなってきた、そんな気分だった。

 そんな不安な気持ちを払拭してくれたのは翌日、仕事帰りに立ち寄った『LoOp』の明かりを見たときだった。ホッとして店内に入ると、その安堵はまたも一転した。
 カウンターにはオーナーの姿はなく、ワイシャツ姿で髪を綺麗に整えた、見た限りとても雑貨屋のスタッフとは思えない男性が立っていた。
 オーナーのことを訊ねると、とんでもない答えが返ってきたのだ。
「実は昨夜暴行を受けて入院しているんです」
 昨日、あたしは閉店の手伝いをしてオーナーと一緒に店を出た。あの後一体彼に何があったというのか。
 呆然と立ち尽くしていると、男性は店を閉めた後、オーナーが入院する病院へ行くというので、一緒に連れて行ってもらうようにお願いした。
 心配するあたしのために気を使ってくれたのか、男性はいつもよりもずっと早くに店を閉め、病院へと案内してくれる。
「オーナーの波柴さんとは、ご親戚か何かですか?」
「いえ、倒れているところを私が見つけたんです。心配で、見舞いに行って話していたら成り行きで店を手伝うことになって。不思議な縁もあるものです」
 男性は優しげなゆったりとした声でそう話した。
 見た目や年齢はだいぶ違ったのでお兄さんとは思えなかったが、声の感じが似ている気がしたので、遠縁なのかと思ったが違うらしい。見知らぬ人を助けるなんて親切な人だ。
 病室に入ると、そこには痛々しいほど見違えてしまったオーナーが横たわっていた。あたしの顔を見るなり体を起こそうとする。
「そのままでいてください。大丈夫ですか?」
「ごめんなさい、心配かけてしまって」あたしを気遣ってオーナーが笑いかける。
「別れた後、一体何があったんですか?」
「君に会うまでに何人もの人に同じ質問をされたけれど、答えられなかったよ」とオーナーはまた笑う。その笑顔を見て、あたしは少しだけ安心することができた。
 病室まで案内してくれた男性が報告を済ませると、オーナーは彼にあたしのリングのサイズ直しを頼んでくれた。
 男性が「かまわないよ」と言って、部屋から出て行くとオーナーはほっとしたようにあたしを見る。
 男性がリングのサイズ直しができるのにあたしは驚いていたが、オーナーの話では、彼もどうやら若い頃にシルバーの彫金をやっていたらしい。人は本当に見掛けに寄らないものだ。
「波柴さんにとても声のトーンが似た人ですね」
「そうかな? でも僕も川瀬さんとは、なんだか他人とは思えない何かを感じるよ。実際こうやって店も手伝ってもらっているし」
 オーナーは思い出したように、朔良のバイトの話を始めた。
「未依さん、ごめんね、彼氏さんには僕が退院するまで待っていてもらえるかな」
「大丈夫です。私もまだ彼に会えていなくて、バイトの話ができてないので」
 それどころじゃないはずなのに、あたしたちを気遣かってくれるオーナーの優しさを嬉しく感じ、あたしは病院を後にした。
 帰り道に朔良に電話をかけると、彼はまたも仕事に忙しいようで今日も帰ることができないと言う。これで三日連続家に帰ってきていない。火曜に帰ってきた以外、ずっと留守だ。
 こんなことは初めてであたしは戸惑っていた。仕事が忙しいのはわかるけれど……そう思いながらも、あたしは彼を責めるのはやめ、電話を切った。
 翌日、午前中から降り出した雨は、あたしの心模様に憂鬱を染みこませる。仕事にも身が入らず気分も重かったが、午後からは雨も上がり、晴れ渡る青空に架かる虹を見上げていると、あたしのそんなモヤモヤは嘘みたいに消し飛んだ。あたしの心は単純だ。ひとり心の中で笑う。
 帰り道に心のオアシスへ……いつか朔良と一緒に始めるお店が、来店する人のオアシスになったらな……。
 あたしの妄想は膨らみ気持ちも上がってくる。
 でも残念なことに代理の男性はあたしのリングのサイズ直しを忘れていた。受け取りは明日になるらしい。
 しかしあの冷静そうな人が、青い顔して慌てながら、リングの仕上げに掛かっていた。そんな意外な姿が見れて面白かったから、リングは明日のお楽しみにしよう。
 軽く『LoOp』で珈琲を飲みながら、サイズ直しをする彼と少し話してあたしは帰宅した。
 部屋にはいつものように彼がいない。田舎にいるときも、上京してからも、絶えず彼は側にいてくれた。たった数日、彼がいないだけでこんなにも気持ちが落ち着かなくなるなんて……。
 彼の存在の大きさに驚き、そして感謝する。カーテンを開くと窓からは大きな青白い月が綺麗に見える。
 あたしは彼に電話をし、今夜は帰ってこれるかどうか確認する。もし、また仕事が忙しく、帰ってこられなくてもいいんだ。
 だってあたしはどっちにしろ、彼なしでは生きてはいけないんだから。


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