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男性性と女性性が活かされあうと周りの人まで幸せにしてしまう

先日、長女の結婚式のため新幹線で出向いてきました。
9年ぶりに元夫にも会うので行きは
ちょっと複雑な思いでしたが
結婚式の素晴らしさに諸々祓われて
わたしの氣持ちも快晴となり
帰りの新幹線では見事な富士山にご対面できました。


行きは晴れてたのでデッキでカメラを構えていたにもかかわらず
富士山だけ霧に包まれて見えないままでした。
自分の心境と重ねてしまった(笑)

でタイトルの件ですが、
心のことに関心を持つと
女性に尽くすことで活かされる男性性と
それを受け取ることで満ちて活かされる女性性の話を
たくさん読んできましたが
長女夫婦を見ていてまさにこういうことなんだって
痛感してました。

お婿くんは、とにかく娘を笑顔にしたい笑顔を見たい
娘を笑顔にするために生きていると断言できちゃう人です。
思い起こせば最初にあいさつに来てくれた時に
娘の短所も含めて全部が愛おしいし、
笑顔がいいんですって断言してました。
笑顔だけでなく、娘の喜怒哀楽すべてを受け止めていて
優しいだけじゃなく器の大きな人だなぁって思ってました。


一年に及ぶ結婚式の準備期間中に様々なことが起きたわけですが
それを二人絶妙なチームワークで越えていくのを
リアルタイムで見せてもらっていました。


男女ともに男性性、女性性を持っている中で
男性の男性性のエネルギー源は女性で
女性の女性性を支えているのは男性であり、
女性性が思い描いたイメージを
男性性が現実化していくんだなって目の当たりにしてました。

娘は純度100%で自分の思いや本音、希望を表現し
お婿くんは万難を排してそれを何度も何度も
娘の思い描いたイメージに近づけるために
あらゆる行動を起こしていました。
もちろん娘も行動していましたけれども
お婿くんの交渉力、行動力、現実化力は目を見張るものがありました。
娘が満足するたびにお婿くんは自信で溢れ
娘が困ったり不安にかられると心と体と頭を駆使して
娘をサポートしていました。
優しい好青年の印象が、どんどん頼もしくて逞しくて
頼りになる肚の座った人になっていきました。

娘は、お婿くんと自分の存在を信じ切っているから
変な遠慮や氣遣いすることもなく思いを表現していましたし
プロセスや結果を謙遜することなく受け取っていました。

その関係性は日を追うごとに安定して見え
結びつきが強固なものになっていき
結婚式の日には見事な姿を披露してくれて
参列された皆様にも笑顔があふれる一日となりました。

なんかすごいものをみせてもらったなぁ。
わたしには構築できなかった関係性を
娘夫婦は、こつこつと重ねて見事でした。
そして、これからも構築していくんだな。

社会貢献の第一歩は自分の幸せや
自分が満ちることで始まり、
社会の最小単位である夫婦やパートナーシップが
見事に構築されることも社会貢献や世の中の平和に
貢献してる!!って体感したのでした。


で、9年ぶりに元夫に会ったわけですが、
最後は弁護士を通してしか話もできなくなっていて
わたしが悪いことをしたわけではないのに
なんだか元夫VSわたし、
原告と被告みたいになったままだったので
彼が参列することが決まってからずっと
めちゃくちゃ緊張してました。
結婚式の数日前には、とうとう胃が痛くなるほど
氣が重くなってました。
前日に和光市の「あゆ調律整体クリニーク」に直行して
ガッチガチになってた心と身体をほぐしてもらって
臨みました。
あゆしー、その節は、ありがとうございました♡

とうとう新婦親族控室で会ったわけですが
お互い敬語でぎこちなく挨拶していたら
次女が、「敬語は、ちゃうやろ」って笑いながら
言ってくれたので、みんなで笑ってちょっとほぐれて
そこから先は、最近自分に課している
自分に正直に、色々考えて曲げたり足したり引いたりせずに
言葉にして伝える、を心がけていました。

新婦お色直しの時に、私たちは来賓の皆さんの席へ
ご挨拶をして回りました。
娘が作成してくれていたお席ごとの皆さんの背景を頭に入れて
あの席の方は大学時代の・・・あのお席の方は職場の・・・と
息を合わせてご挨拶しているうちに
私たちが離婚したのは誰が悪いとかダメだったわけでなく
ただ、違ってただけだったんだな…って思えたんです。
・男性性や女性性の活かし方がわかってなかっただけだった
・わたしは生涯のパートナーのつもりだったけど
 そうじゃなかった
・わたしは彼の一番大切な人になりたかったけど
 そうじゃなかった
・夫婦関係が破綻したと思っていたけど
 そうじゃなくて、
 ただお互いに違う道を”選んで”進んだだけだった
 その道を”選ばされた”と思っていた頃は苦しかったけど
 わたしはわたしで今のわたしが氣に入っていて
 こうなるための一つのプロセスやったんやな、とか
色々な思いが片付いていってました。

そして、心の底から思えたことを言葉にして伝えました。
当時の呼び方で名前を呼び
「(あなた)と結婚できたからこそ、
こうして娘たちに会うことができて
こんなに嬉しい日を迎えることができました。
今、ものすごく幸せです、ありがとう」って言えました。

お互い涙を拭いてました。
彼は彼で、私と離婚してまで結ばれた新しい奥さんと幸せになりつつも
自分のことを責めていたんだろうな。
どうかもうその重荷を降ろしてくださいって思いました。

奇しくも最後の最後にエレベーターで二人になる場面があり
私は名前を呼んで「元氣でね」って言ったんだけど
彼は「お母さんも元氣でな」って言ったんです。
私、純粋にわたしの母のことを氣遣ってくれたんだと思って
「わぁありがとう、お母さんも喜ぶと思う伝えるね」って
返事したんです・・・でも、あとから思ったら
あれ、私のことだったんだ・・・
名前も呼べず、お前でもなく、君でもない
娘たちを通してお父さんとお母さんっていう繋がりだから
その呼び方をしたんだな。

結婚した時に、彼言ってたんよ、
「子どもが生まれてもお父さん、お母さんって呼び合うのだけは
嫌やから、やめてくれよ」って。
でも、そう呼ぶしかなかったんやんね。
不器用な誠実さと、時を経て変わってしまった関係性を
感じながら帰路につき、あの富士山に出会ったのでした。


なんか、長年の呪縛から解き放たれたみたいに
心が軽くなりました。
娘の結婚式のおかげさまです。
2人の、参列された皆様の、両家につながる人たちの
ご多幸を祈らずにはいられませんでした。












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