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脳は回復する 序章


気になるところに付箋をつけつつ読んでみたら"え!序章だけでこんなに⁉︎"となってしまいました。とりあえず一章ずつに区切って書いてみたいと思います。(途中で気が変わるかもしれませんが💦)

序章

気がついたら「変な人」になってしまったような感覚に襲われたという鈴木さん。彼は発症直後から高次脳機能障害が残っていると診断されたといいます。

回復期退院時にも高次脳機能障害はないとされた私は、異変こそ感じていたものの鈴木さんのように言語化できるレベルではありませんでした。
それよりも当時は「目がみえない」という事実に衝撃を受けていたと思います。

ただ、それさえも最初は『あ〜見えないんだ」くらいにぼんやりだった気がします。
それよりも眠くて眠くて。眠っていたいのに起こされることがひたすら苦痛でした。

コントロールできない表情と感情

「表情と言葉」がコントロールできないことは、感情のコントロールが自分でできなくなってしまったことと関連しているようだ

脳は回復する

急性期や回復期にいる間に何度か感情が止められなくなることがありました。が、これが後遺症によるものだったのかは未だ良くわかりません。
この時はただ、環境のせいで感情的になってしまう、そんな風に思っていました。

それよりむしろ今の方が感情抑制が効かないこと。そして感情を抑えようとすると苦しく、口数が少なくなり無表情になってしまうことを感じています。いっそ環境のせいにして感情を爆発させられていた時のほうが楽だったのかもしれません。ただ、社会に出てしまった以上は抑えなければならないこと、そして堪えきれず爆発してしまったときは自己嫌悪から抜け出せずどちらに転んでも苦しむ結果となってしまいます。そんな時はいっそのこと人の中に出ない方が楽なのではないかと思うほどです。

僥倖というにはあまりにもつらい

高次脳機能障害の当事者になったことは僥倖と書いてきた。今もその気持ちは変わらないが、抱えた障害がほぼ回復した今になっても心底思う。
それは僥倖だったかもしれないけれども、2度とあの地獄には戻りたくない!

脳は回復する

本当に僥倖と思ったのだろうか?にわかには信じ難いことです。
私の高次脳機能障害はおそらく鈴木さんよりずっと軽い。身体の麻痺もぱっと見わからないほど軽く、後遺症が辛いなどと口にするのが憚られるほどです。それでも当事者会などで「病気になったからこそ気付けたことがある、なって良かったと思う」という人がいると「本当に⁉︎」と言いたくなります。

私は未だ病気になって良かったと思ったことは一度もありません。
もちろん病気になったことで気付いたことはたくさんあります。けれども私は病気にならずにそのことに気が付きたかった。
家族や友人の優しさにも気付いたし、病気になったからこそ出逢えた人もたくさんいます。それでもやっぱりくも膜下出血など経験することなく気が付きたかったし出会いたかった。ならなければ気がつけないならば気付かぬままでいいから病気になりたくなかったと思っています。

ただ、脳疾患やそれ以外の病気をした方に
「私はこんな辛い病気をしたけれど、辛い後遺症があるけれど、負けずに弱音を吐かずにがんばってます。そんなこと言ってないでやることあるでしょ」と上から目線とでもいう言葉を投げかけられることがあります。
そんな時は「なんでだろう」と思うようになりました。病気になってしまった事実は変えられないならば、私はせめて同じように辛い思いをした人と共に「がんばろう」と。傷を舐め合うことになるのかもしれないけれど手を携えていける人でありたいと思います。そしてもしもこの苦しい思いを乗り越えることができたとしても、辛い思いを分かち合える人でありたいと思います。

辛い日々

こんな軽い後遺症の私が「辛い」と言ったらバチがあたるのかもしれません。同じ脳疾患でも、もっと重い後遺症に苦しむ人がたくさんいることは重々承知です。

でも今が何だか1番辛い時期のような気がしています。
正直目が見えなかった時はそれ以上に辛いことはないのだと思っていました。でも、今が1番辛いです。

これまで出来ていたことが出来ないこと。そして見えない障害であり医療従事者にも家族にもなかなか理解してもらえないことが辛いです。
家族を含め理解しようとしてくれる人はいます。けれどもやっぱり理解されないのだなという気持ちでいっぱいです。

のちにこの本の中に出てくることではありますが、嫌な思い出が何度もリフレインすること。私の場合は切り捨てられたように感じた記憶が何度も思い出され、同じ目にまたあうのではないかというわけのわからない恐怖に苛まれることがあります。その思いがかえって周囲の人を引かせてしまう結果になっているとわかっていてもその恐怖から逃れられないのが現状です。

結局は自分自身で乗り越えなければならないこと、もしかしたら時間が解決するのかもしれませんが、その間に誰もいなくなってしまうのではないかという恐怖と戦いつつ日々を過ごしています。

これまで書いたブログを読み返すとブーメランのように自分で書いた言葉が跳ね返ってきます。でも、そのときどきで書いていることは私にとっては嘘ではない想いです。
整合性がないと思われる方もいるかとは思いますが、ご理解いただけると嬉しいです。

続きはまた日を改めてすこしずつ書いていきたいと思います。
お読み頂きありがとうございました。