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他人の人生のよう‥

Xで、脳卒中後「自分の身体なのに他人の身体のように感じる」や「現実味が薄いと感じる」といったポストやコメントを拝見しました。

私も回復期で同じような症状がありました。
自分の人生のはずなのにどこか他人の人生を見ているようで"生きている実感がない"そう悩んでいました。

それで看護師さんに悩みを打ち明けたところ、
「何も言えずに死んで行った人もいるんだから」
と早々に話を打ち切られてしまい、以後病院スタッフに相談出来なくなりました。

けれどもそんな状態が続くことが不安で、知り合いの心理士さんにズーム面談をお願いしました。

すると、病院という特殊な場所にいるからという可能性が考えられること、退院したら実感が湧くのではと助言をもらいました。

今考えると、なぜ病院という場所にいながら院外の心理士さんに面談を申し込まなければならなかったのでしょうか?

大きな病気により身体や心に傷を負った人がいることが当たり前の場所なのに、そのケアが受けられないことに疑問を感じます。

そして、退院後に日常生活に戻り実感が湧いたかと言われるとそうではありませんでした。徐々に以前の生活に戻ってはいきましたが、どこか上滑りしているような現実感のない状態が続きました。

そんな中で出会った本、鈴木大介著
「脳が壊れた」「脳は回復する」
この2冊に私はとても救われました。

退院後、襲われていた自分の症状がどうやら高次脳機能障害ではないかと気付くきっかけをくれた本です。

この本の中に書かれている
"井上陽水現象"がまさに自分の感じていた"生きている実感がない"という状態に当たりました。

どういう状況であるかを言語化した上で、高次脳機能障害の書籍等には見当たらないけれど当事者にとっては普遍的症状であることが書かれており、自分だけではなかったのだと胸を撫で下ろしました。

Xでも"自分の症状が自分だけではないこと"に安堵するポストを時々目にします。

私見ではありますが、脳疾患の人は"脳を損傷した"という思いから"自分はおかしくなってしまったのではないか"という不安を持ってしまいがちなのではないかと思うのです。

だから今回のように、高次脳機能障害のガイドブックなどには書かれていない症状が"自分だけではなかった"と知るとホッとするのではないでしょうか。

生きている実感がなかった原因は色々あるのかもしれません。けれども通っている自費リハビリの作業療法士さんコラムをたまたま読み、身体所有感の低下や運動主体感の喪失といったものがあることを知り、これらの影響もあったのではないかと思いました。

専門的で難しいコラムではありますが、自分の状態を理解する一助になる方もおられるかもしれないと思い下記にURLを貼っておきます。
ご興味のある方はどうぞ。

https://www.pieces-ccp.com/column/detail/?id=302