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坐骨神経痛から痛みを感じる脳の仕組みを考えた

まずは私に起きた悲劇の事の起こりから。
第1章 私に起きた小さな悲劇
 2020年5月のある日、台所に立った私は、生ゴミを捨てようと膝を曲げて屈もうとしたその時、左の太腿の付け根に鈍痛が......

テレワークでずっと家にいて運動不足なのが原因なのでしょうか。しかし、一向に治る気配はなく、屈む度に痛みが走る。それどころか、数日、数週間と立つうちに、痛みは広がってきて、そのうち太ももの前側やお尻の方もまで痛くなってきます。そしてついに、夜、寝返りを打って左足が少し動くと痛みが走るようになってよく寝れなくなってしまいました。もう辛抱できないと近所の整形外科に行くと医者はM R Iで撮影した断層写真を指差し、
「左側の腰の神経根が圧迫されていますね。入り口のところですけど...」
と言うのです。
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「神経根(しんけいこん)」と言われてもイメージが湧かないと思いますので、少し説明しましょう。私たちの身体には、頭からお尻に向かって太い神経の束が背骨のすぐ後ろを走っています。この神経の束は信号を運ぶ、いわば、送電線です。例えば、皮膚や筋肉に起こった「痛いっ!」という信号はこの神経の束を通して脳に伝えられるし、逆に脳が発信した「筋肉よ、縮め」という信号もこれを通して筋肉に伝えられます。ご存知のように、背骨は小さなブロックを積み重ねたような構造をしていますが、それぞれのブロックの背中に面したところは羽のように伸びていてこの太い神経の束を守るように覆っています。確かに背中を走っている神経の束が剥き出しだと不安ですから、身体は良くできている。
 さて、「神経根」というのは、この神経系の束の一本一本と筋肉や皮膚の間をつないでいる神経組織です。覆いかぶさっている骨のすぐ外側にあって片方の腕をブロックとブロックの隙間を通して神経の束に伸ばし、もう片方の腕を筋肉や皮膚に伸ばしています。
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医者が言うことには、背骨の骨と骨の間が狭くなっていて隙間を走っている神経根の腕が圧迫されているというのです。曰く
「いやーな感じの痛みがあるでしょう?」
「はい、いやーな感じの痛みです。」と私。
禅問答?いや、実際のところ、そうとしか言いようのないそんな感じなのです。どこが痛いかと尋ねられて「ここです」と押さえてみるけど、ちょっと違う気がする。じゃあ、ここかと押さえてみる。やっぱり、ちょっと違うような気がする。ズキズキするとか刺すような痛みじゃなくて曰く言い難い。「いやーな痛み」としか言いようがない。ただ、痛みがあるので、腰を屈めなければいけない時はつい怯んでしまう。そんな「いやーな感じ」です。さすが多くの患者を診ているせいでしょうか、お医者さんはその感じがよくわかっている。それにしてもこうも痛いと、そもそも「痛み」って何のためにあるのだろうと考えてしまう私でした。

第2章 そもそも「痛み」って何故あるの?
そもそも「痛い!」と私たちが言葉にしている感覚は何のためにあるのでしょうか。多分「鋭い注意喚起」のためにあるのだと私は考えています。例えば、火傷しそうな熱いものに手が触れると、思わず「熱い」って感じで手を引っ込める。この時、私たちは、手を引っ込めるだけでなくて、「熱っ!」と触ったものに思わず目をやって、もうそれに触らないように気を付けますよね。「痛い」という感覚は、私たちの周りの危険を鋭く警告している。まあ、それにしても、「痛み」というような有り難くない不快な感覚とリンクしなくても良いのにと思うのですが、あまりマイルドな感覚では、実際、役に立ちません。「痒い」くらいだと、やり過ごして大火傷ということになりかねない。やっぱり“鋭く”、“痛く”、注意を喚起して否応なくそこに注意を向けさせる必要があるのでしょう。
 そうだとすると、私の場合、実に理不尽な話です。痛いのだけど、何かにぶつかって太ももが傷ついたわけでも、お尻に火の粉を被ったわけでもない。太もももお尻も良好な健康状態であって、どこかに特に注意を向ける必要なないのだし、むしろビクビクしながら行動するから、いかにも不格好で返って危なっかしい。私が痛みを感じるのは本来の役割に照らしておかしいのです。どうしてこうなってしまったか?

「信号を運ぶ送電線が圧迫によって誤作動しているから」
と医者は言います。

先に書いたように、神経根の片方の腕は背中を走っている神経の束につながっていて、もう一方の腕は筋肉や皮膚につながっています。皮膚に熱いものが触れれば、神経根はその信号を片方の腕で受け取って、もう片方の腕でその信号を神経の束に伝えます。私の場合、皮膚や筋肉からの信号はありません。しかし、圧迫されている腕は間違って信号を神経の束に送ってしまう。その信号は脳に伝えられ、痛みの感覚が生じているというわけです。

「そうか、痛みの感覚を作り出しているのは脳なんだ!」

そうなんです。熱いと思って手を引き込めるけど、熱いという感覚を生じているのは、皮膚ではないのです。この事実、「脳が痛みの感覚を作り出している」ということによって、私の場合とは比べものにならないどうしようもなく困った状況になることもあることをふと思い出しました。

第3章 「脳が痛みの感覚を作り出している」ことによって起こる大悲劇
 第一次世界大戦の後、多くの兵士が手足を失ったそうです。もちろん、戦争ばかりでなく他の理由で手足を失うこともあります。こうした人たちの中に、とても困難な疾患を抱える患者さんがいます。事故で失って、既にない手足が痛むというのです。例えば、左腕を失った人が、左手の指が手の平に食い込んで痛いという症状を訴える。もちろん、もう左腕はないわけですから、もはや存在しない左手に痛みを感じるはずことはありえない。というか、その手はないわけだから、痛み止めをつけるというわけにはいかない。このような症例は、幻肢(ファントム・リム)と呼ばれています。もし皆さんが神経内科のお医者さんだったとして、このような患者さんを目の前にしたらどうしますか?「ははーん、これは、脳にいく神経が誤動作をしているのではないか」と考えるでしょうか?例えば、左腕の切断面のところの処置が悪くて神経の断端が圧迫されていて間違って信号を脳の方に送っているのではないか。実際、そのような考えの元に、切断面の処置、例えば、切断面の少し上で改めて問題が起きないようなきれいな切断面を作るなどの処置が行われましたが、残念ながら、このような処置では幻肢の症状を解決することはできなかったそうです。神経内科医のラマ・チャンドランもこのような患者さんを前にして考え込みました。どうしたら、存在しない四肢の痛みを取ればよいのだろう?

第4章 神経内科医ラマ・チャンドランの試み(1)
 そのラマ・チャンドランの話(文献1)をしたいのですが、その前にホモンキュラスについて説明しておく必要があります。ギリシャの哲学者ではありません。脳の中には身体のマップがあって、それをホモンキュラスと呼びます。身体のマップと言われてもピンとこないかもしれませんが、例えば、右手の人差し指を触ると特定の脳の場所が活動します。中指を触るとその場所の隣が活動し、その隣には薬指を触ると活動する部位があって...というように、身体の部位に対応した脳の領域がある。これをホモンキュラスと呼びます。面白いことにこの身体のマップ、各部位の比率が実際の身体の比率とは違います。鋭敏な感覚を持つ身体の部分、例えば手に対応する場所は大きく、胴体のように感覚が鈍い身体の部分に対応する部位は小さい。それで、ホモンキュラスは人形にしてみると奇妙な姿をしています。また、脳の中にある身体のマップは一つだけではありません。目的に応じていくつかあります。例えば、運動を司る領域にも身体のマップがあります。このマップの左手の人差し指に対応する場所を刺激すると、左の人差し指が勝手に動くことになります。

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 ホモンキュラスの話はこのくらいにして、幻肢の話に戻りましょう。ラマ・チャンドランは、手を失っているにも関わらず、その手(仮に左手とします)の痛みを訴える患者さんを前にして、
『一体、脳にある身体のマップの左手の部分はどうなっているのだろう?』
と考えた。この部分の神経細胞は、かつて左手の感覚を受け取っていたわけですが、今はその左手がない。とすると、感覚の入力のなくなったその場所の細胞はどんな信号がやってくると反応するのだろう?そこで、ラマ・チャンドランは、まず、身体のマップを簡単にチェックしてみることにしました。患者さんに目をつむってもらって身体のいろいろな部分を綿棒で触ってみて、患者さんに何を感じるか聞いてみたのです。例えば、綿棒で唇を触れば、患者さんが「唇に触られた」と答えるだろうし、顎を触れば「顎に触られた」と答えるという具合です。こうして患者さんの反応を調べてみると左の頬を触った時、とても奇妙なことが起こりました。患者さんは、左の頬だけでなく、もう存在しないはずの(幻の)左手にも「触られた」という感じがあるというのです。
 これを聞いて、ラマ・チャンドランははたと思い当たりました。
「頬の感覚を伝える神経が隣にある左手の場所まで神経の枝を伸ばしてるんだ。」
確かに、身体のマップを見ると顔と手は隣り合わせです。頬の皮膚感覚の信号を伝えている神経が、顔の場所ばかりでなく隣にある感覚入力が失われてしまった場所まで枝を伸ばすことはいかにもありそうです。実はこういうマップの再編が起こることがいろいろな実験からよく知られています。例えば、親指ばかり使う仕事をしていて人差し指を使わないでいると、親指の領域が広がって人差し指の領域が狭くなることを示す動物実験があります。つまり、あまり使わない人差し指の領域に親指の入力が侵略してしまったというわけ。しかし、「マップの再編が起こった」ことよりももっと重要なことは、手の部分に対応する部位の細胞が活動すると(それが頬から来た信号によるものであっても)左手が触られたような感覚が生じたということです。身体のある部分に対応する脳の場所が活動すれば、仮にその身体の部分がすでになかったとしても、その(幻の)場所に感覚が生じる!

とすると、痛みの感覚でも同じでしょう。左手を失った患者さんが、頬を触られなくても失われた左手の皮膚感覚があるのは、その手に対応する脳の場所にある神経細胞が誤作動しているとラマ・チャンドランは考えたのです。

第5章 神経内科医ラマ・チャンドランの試み(2)
 そこで問題はその場所、つまり元々あった左手の領域の神経細胞の誤作動を止めるにはどうしたらよいかということになります。脳を開けてその場所の神経細胞の活動を抑えるというような大掛かりなことはしたくないし、患者さんも望まないでしょう。そこでラマ・チャンドランは誤動作している神経細胞を騙すことにしました。「左手には問題がないんだぞ」と脳に見せてやれば良いというわけです。そこで、両手が横から入るくらいの大きさの箱を用意します。箱の上面はガラスになっていて、差し込んだ右手がガラスの右半分に見えるようになっています。右腕はそのまま入るようになっていますが、左側には、実は鏡が斜めにセットされていて、右手が写るようになっています。つまり上から見ると実際の右手がガラスの右半分に、鏡に写った右手がガラスの左半分に、あたかも左手のように、見えることになります。その箱を患者さんの前におき、実際に存在する右腕を箱の右側に、(実際にはないけど存在感だけは残っている)左腕を箱の左側に差し込むように促します。すると、患者さんは、上から鏡に写った右手を見て、自分の左手が見えていると錯覚するのです。
「ゆっくり両手を開いたり閉じたりしてください。」
とラマ・チャンドランがインストラクションを与えると、患者さんは、自分で開いたり閉じたりしている(つもりの)左手が実際にそんな風に動いているのを見て、びっくりしたのだそうです。

自分の固まっていた左手が動く

面白くなった患者さんはこうして幻の左手を動かしているうちに、左手に感じていた「痛み」も消えていった…

脳に偽の情報を与えて、神経回路がいい方向に組み変わってしまった!ちょっと素敵な話だと思いませんか。 “切った貼った”は全くしなくて、しかも誰もがDIYで作れそうな簡単な道具で、直接触れることのできない手の痛みを除いたのですから。脳科学者の端くれとしては、こういうことを思いついてそれがすぐに役に立つことを実証できるなんて羨ましい限りです。
ただし、忘れてはいけないのは、身体のマップがあるということがわかっていたからこそできた仕事だということでしょう。脳に身体のマップがあるという発見は、それこそ人や動物を対象とした多くの“切った貼った”の研究を通してわかってきたことなのです。また、どういう回路の組み替えが起こったかはよくわかりません。実のところ、痛みを感じる脳の神経回路の詳細は実際のところ、あまりよくわかっていません。痛みの感覚の身体マップが別にあるのか、あるいは、すでに知られている身体のマップそのものなのか?ここから先はなかなか難しい。何せ、痛みの感覚ですから、誰も痛みを感じるための被験者にはなりたくないですよね。脳科学のテキストには、皮膚になる痛みのセンサーやその信号を伝える神経については詳しく書かれていますが、その信号が運ばれる先の脳でどのようにして痛みの感覚が生じるのかについてはあまり書かれていない。が、「痛み」にまつわる興味深いことはいろいろあります。例えば、「痛いの、痛いの、飛んでけ」と、酷い痛みを感じた場所をさすると痛みが軽減されるのは何故かとか。鍼灸が痛みを軽減するとか。でも、手堅く神経科学の方法で解明することは難しい。


第6章 少し怪しい話になりますが...
 インド発祥のヨガの概念にチャクラというものがあるのだそうです。頭の頂点からお尻の先まで、6つとか7つのチャクラがあるらしい。そしてこれらは一つの管で繋がっているのだそうです。ある時、公園ヨガのイベントに参加した私、静かに横になり、「頭の上のチャクラからお尻の先のチャクラまで気(?)を流してください。」
と言われるままにそんな感じのことをしてみるととても清々しい気持ちになります。とはいえ、6つあるいは7つの臓器(?)が頭からお尻の間にあって、それらが互いにつながっているという証拠は全くないのだけどなあという思いも頭を去来する。
 そこで思い出すのが、脳の身体のマップの話です。確かにチャクラに相当する臓器は考えづらいけど、脳のマップの中には、チャクラに相当する箇所がちゃんとあって、それらの間が神経細胞によって繋がっているとしても不思議はありません。「気を流す」というのはそういうことなのかもしれません。しかし、証拠はないでしょう。結局のところ、それを確かめるだけのために、実験をするのはコストがかかりすぎます。そういえば、足裏マッサージでは、足の裏に身体のマップがあるということになっているようですが、足の裏のある場所が特定の臓器とつながっているといるとは考えづらい。しかし、これもまた、脳の身体マップの上でつながっていると考えればよいのかもしれません。しかし、これもまた証拠がありません。すくなくとも、よく知られた身体のマップの足の部分に小さな身体のマップがあるのかな??そうだとしたら、面白いけど、ちょっとありそうもないですね。

第7章 顛末
 で、私の太腿の痛みはどうなったかというと、なくなってしまいました。実は医者がそう予言していたのです。曰く、
「三ヶ月我慢してください、痛みは無くなりますから。」
 半信半疑ではありましたが、きっかり三ヶ月で痛みはなくなりました。自然に!痛みを感じる神経回路のどこかが変化してしまった!一応ね、どういう変化が起きたのか、医者に尋ねてみましたが、確たる答えはありませんでした。医者の役割は病気を治すことですから、仕組みを知るのは範疇外なのですね。

 一般論として、脳の神経回路が組み変わることはよく知られています。実際、皆さんも日常、経験しています。例えば、私たちは、反復して練習することで、新しい運動のフォームを覚えたり、漢字を覚えたりすることができます。これは刺激が脳に与えられることで神経回路の組み替えが起こるからです。もっと単純なタイプ、神経細胞の反応の仕方が変わるというようなことも起こります。例えば、繰り返して刺激が加えられると神経細胞の活動が反応が鈍くなることも知られています。「慣れ」と言ったりしますが、甘いものを続けて食べると後の方になると甘みが少ないように感じませんか?そういう感覚は神経細胞の反応の仕方の変化で説明できます。どんな神経回路の組み替えや神経細胞の働きの変化が起こるか、それがどのくらいのタイムスパンで起こるかは、刺激の種類、反復の回数、頻度など様々な要因で決まります。一つ一つの事例を分析するのは大変ですが、私の場合、多分、神経節の細胞が圧迫に「慣れ」たためだろうと思います。三ヶ月かけてようやく神経節の細胞がこれは偽の刺激なのだということがわかったと言ってもいいかな。ま、何はともあれ、痛みがなくなったのであるから、めでたし、めでたし。

文献

1. V.S. ラマチャンドラン著「脳のなかの幽霊」角川文庫



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