傷付いたり、愛したり、愛されたり。

戦友と悪友を兼ね備えたような
高校時代の友達が結婚した。

ねぇ、ゆり。

いっぱい、いっぱい、いっぱい、
赤い血と温かくて冷たい涙を流したんだから、
どうかこの先は全身で幸せを噛み締めて。
彼に死ぬほど愛されておくれ。

どうかこれ以上傷付かないで。
きみのこと友達としてとても愛してるから、祈らずにはいられない。

ね、当然でしょう?

**

結婚というワードに現実味を感じ取れないまま彼女から近況報告を聞き数日が経つわけで。やっと今になって、16歳だった私達がいつの間にか結婚適齢期とやらの年代に突入しつつあるのだという実感が湧いてきた。
(てかタイムラグすごくない?自分が如何に結婚に対して興味が無いかが分かったわ😪)


JKだった私達の周りには、我欲というゲロを吐き散らして笑う大人が大勢いた。互いの家庭の中で薬、性虐待、ネグレクト、ドメスティックバイオレンス、その他諸々を経験しなくてもいい部分まで経験してきた。家庭が安全なんて認識はなく、愛に飢える気持ちは底無し沼のようだったのを今でも覚えてる。

「まじあいつら頭ヤバくない?」
「あはは、クソだね。死ねばいいのに。」

私と彼女はそうやって汚い大人達を蔑んで、テメーらとは違う人間なんだと必死に抗った。たまに寂しくなってくっついて眠ったり、人格が定まらない彼女を抱き締めたりして。

底無し沼の「底」を見つける為に、きっと私達は生きて来た。死にたがりなりに懸命に息を吸って吐いて、愛ってどんな味だろうって、いつだって確めたかったんだ。

高校を卒業してからは年に1、2回会うか会わないかの頻度でゆるっとした関係が続いてる。お互いに昔のような依存や言葉の刺はなくなった、とても良い感じの友達関係。


私はやたらぽやーっとした性格になり、
ゆりは相変わらずブッ飛んでるけど優しい女性だなぁっとよく思う。

今の私たちの共通点といえば、よく笑うようになったこと。「ありがとう!」「嬉しい!」を表現するようになったこと。彼女自身は気付いてるか分からないけれど、これってめちゃくちゃすごい事だ。

なんだかもう、泣きたくなるほど幸せだな。

お互いに変われたこと。自分の意思で前へ進んでいること。愛したり、愛されたりする事に怖がらず手を伸ばせているんだ。あぁ、よく頑張ってきたよ。


今度会う日、まだいつか分からないけど、きみに綺麗なお花を渡そうと決めています。報告して来た日、なにもお祝い出来なかったからね。

何色がいいかな。どんなの、喜んでくれるかな。
ついでに全力の愛で抱き締めてもいいかな。

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