フォントをつくる②
前回の記事からかなりの時間が経過してしまった。
結論から言うと、
このフォントをつくる試みは、まず一度失敗と言う形で終息している。
「まず一度」などと言ってるのは、まだ諦めたくないものの、実力が全く伴っていないことに今さらながら気づいたからである。
フォントをつくるというのは職人の技だ。
匠の技なのだ。
これはファーストステップだ、ベビーステップだ。
だから、これで終わりではないと懸命に言い聞かせているという状態だ。
(要するに負け惜しみである)
こちらの本が、非常に丁寧につくられた本であり、手作りの美しい装丁も活版技術も芸術品のように素晴らしいのだが、
「谷川俊太郎さんの詩のためのフォントを作る」という試みも、その文字もあまりにも素晴らしく美しく、身震いするほどに感動したため、
「私もフォントをつくってみたい!」と思ったというのがことの発端。
思っただけで終わりたくないので「誰かのための文字」にしたくてこの本をご紹介いただいた方へ(感動の勢いで)提案したのだった。
よもやま話の延長ではあるが、言ったからにはやってみよう。
モデルになったのは、谷川俊太郎さんに憧れ、御本人公認カフェにまでしてしまった「俊カフェ」の店主である。
再掲になるがその平仮名リストが、こちら。
アドレナリンが駄々漏れの状態で、
非常に楽しく描いた。
文字一つ一つ店主への情熱が書き込まれてる。
情熱が荒ぶっていて時々自分でも何を書いてるかわからない。
途中あいうえお作文のようになってしまっている気がしなくもないが、
その人となりを反映した(つもり)の文字の形だ。
優しさの曲線!
力強さのはらい!
厳しさのはね!
ゆっくりと穏やかだいて芯が強く、好きなことに正直で責任感のある、頼もしく素敵な女性。
底知れぬ愛情深さと、夢をふわりと現実にしてしまう見えない力、
魔力のようなものを持ち、かといってふわりでは終わらない妥協のない努力の断片のようなものも落とし込んだ(つもりだ)
ふくよかで穏やか。
優しげな垂れ眉が「俊」の字のパーツに似てる!
だとか、
人に愛される素敵な人柄をふんだんに織り交ぜている(はず!)
後半の「は」行あたりには、閉店後編集に疲れて伸びをしたり、
校正のミスに気づいてハッとしている仕草などに言及し始め、
妄想であるがもはやストーカーの目線で怖い。
(それがやってるんだよね。見てたの?などのコメントをいただく)
「や」行はもっとゆっくり自分を労ってほしいなどの願望までねじ込んである。お節介で鬱陶しいフォントだ。休めるなら休んでいる。余計なお世話だ。
「ら」行は、「夜はらりるれろ」など、もはや意味不明である。
完全に失速している。
公開した感じでは「味があっていい」など、好意的なコメントもいただく。
そして何やかんやでフリーで作れるフォントのサイトでフォントファイルに変換してみた結果…!
待って、
ひどい!!すごく、気持ち悪い!
「貴女を思って、貴女のために作りました」なんて口が裂けても言えない!!(笑)
絶交されちゃう。
これでは過程でどんなに気持ちを込めようとも、誠意が微塵も感じられない。
そこで気づくのである。「フォント」とは、ごく自然で違和感のない形でなければならない。
おかしな個性もストーキング妄想もいらないのだ。
ドモホ◯ン◯ンクル並に、一滴単位で抽出されたエッセンスとしての個性を、安心して読める形やバランスのなかに籠めるのだ。
違和感なく、それでもその文字群の個性だと言える形で。
今、このnoteも、私のこのフォントで書いていたら、フォントがうるさくて最後まで読めないだろう。ハッキリ言ってストレスだ。
フォントはやかましくしたらダメなのだ。
おまけに壊れたクラリネットのように
「き」と「く」と「ち」と「ゆ」と「ぞ」
の文字がでないのである。
オーパッキャラマード‼️
「きくちゆうぞう」さんなんかいたら
悲惨なほどに反映されない。
「うう」と呻き声しか残らない。
この文字の使い道は、小学校の背景として
拙い書写の文字を探してるときくらいだ。
そーーーーっとお蔵入りさせつつ、
いつか出来上がる素敵な文字を夢見て…
やり直そうと思うが今は燃え尽きて灰になっているのでそっとしておいてほしい。
…つづく…?
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