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HSC次男が小学校を1年生でやめた理由

次男は、一見”大人ウケのいい”優等生

幼稚園の先生からも学校の先生からも優等生、大人の言いたいことをすぐに理解してクラスをまとめてくれる影のリーダー。という評価。

お友達が泣いてたら、そばに寄って背中を撫でて、「そんなこともあるけど大丈夫なんだよ。」と声をかけてくれるやさしさ。があると先生が教えてくれたこともあった。(幼稚園時代)

学校に行かなくなった後も、チェロにサッカーにと楽しんで続け、

水泳には週に2回通って異例の速さでランクアップ、低学年のうちに小学校最高レベルのクラスにいた。

書写もテストのたびにランクアップし、都度大賞をもらい、3年生で大人と同じ課題をやるに至った。

お友達とも、わりと誰とでも馴染み、その日に出会ったグループにも溶け込んだりする。

と、一見問題がなさそうに見える。

厳格さや過敏さと、コントロール不可能な情緒

ただ、そろばん教室は、教室の煩さと先生のフォロー技量がなさ過ぎることに不満と苦しさを訴え(その訴えは「ここは学べる場所ではない」という厳格なもの)フェードアウト。

さらに、自分が予期したことと現実がずれると、見境なく暴れたり泣き喚いたりして手がつけられなくなることも。(9歳くらいまで)

HSCは本人の辛さが見逃されやすい


このエピソードを聞いて、おそらくHSCのお子さんを持つ親御さんの一部は問題に気づくのではないだろうかなー。と思う。

本人は、好きで優等生なのではなく、過敏なために、煩わしさや恐怖や不安から逃れようと「優等生」をせざるおえない日々を送ってた。ということ。

優しさは過敏さの表れでもあり、本人が多くの子どもには些細に思えることでも、傷ついたり悲しんだりするからこその結果。

幼稚園の年少のとき、毎日毎日ずっと泣いて行きたくないと訴えていた。

「慣れますよ。」「お母さんの心配がうつってるんです。」と園の先生たちは口々に言ったけど、それはHSCの子どもにとっては、当てはまらないこともある。

今思うと、幼稚園の先生の裏に持ったストイックさやヒステリックさ(だいぶ経ってからわかってきた)を敏感に感じてたんだなーと、かわいそうに思う。

適切な居場所がずっと見つからない。


表面的に優等生でシステムに合わせられる子どもの登校拒否は、なかなか理解されず、勉強ができないわけでも人間関係ができないわけでもないから、しっくりくるサポート場所が見つけづらい。

次男が学校に行くのをやめたのは、もともと過敏な次男が、「ヒステリックに怒る」先生に緊張して辛くなり、夜うなされる、通学路で止まって動けなくなる。が続いたことにある。

この先生のすごい形相とくだらないことでのイラつきを、私がPTAの用事でふいに訪れたときに偶然目にしてしまったのが決め手だった。

彼は怒られるのが嫌で、どこまでも緊張して無理をしてるので、幼稚園でも小学校でも、一度怒られたことがない(先生たち談)。

だけど、友達が怒られていても、自分が怒られているように感じて怖くて辛くて仕方なくなるんだそう。(そういえば家でも兄弟が怒られると泣き出す。。)

その過敏さで「公教育の大人数を統制するクラス」が向かないのであって、問題は授業態度でもなければ、友達関係でもない。

子どもの当然の権利をくれるフリースクール

シュタイナー 学校への転校も試みたが、これは家庭の事情や、学校側の受け入れ数などの問題で叶わなかったので、せめてと思い、保護者が中心となってシュタイナー 教員の方々を招き作り上げている土曜学校へ通った。

息子曰く、「学校での授業はわかってることだらけでただただつまらなかったけど、シュタイナー クラスは不思議と集中できた。」という。

シュタイナー教育では、知識を伝えるだけの授業ではなく、自然と「感じてしまう」「考えてしまう」ようによく考えて構成された授業だからだと思う。

そこには、生徒によって差が出ることは当たり前に考えられていて、かつどんなスピード特徴の子にも対応できるような工夫や目線、声かけがある。

さらに、先生が大きな声を出したり一方的に価値観を押し付けてくることはなく、もちろん感情的に怒るなどということは皆無。

息子にとってはとても適切な場所だった。が、学校として認められた藤野や横浜に通学することは叶わなかった。

他の各フリースクールも高額すぎたり、遠かったり、補助がない状態や、小さい弟妹がいる家庭では通うことは困難。

本来、ひとりひとりが自分の考えを持って、学ぶことに安心して取り組めることは、当然の権利のはず。フリースクールはそれを提供できているところばかり。

しかし、いまの公教育では、そこにも至らないたくさんのシステムや受け継がれた信念のトラップがあり、なんなら行政の掲げる目標にさえ現実は逆行していたりする。

既存のフリースクールを諦めた先

通える範囲や金額の中で、適切なフリースクールは見つけられなかった。(実は今ならあるのだけど、当時まだ開校してなかった)

だけど、都心での狭い自宅で子どもたちがあふれるホームスクーリングは、どうやってもわたしのストレスになり、こどもたちも窮屈そうだった。

そこで、自然が学び相手になれそうで、自由な考えがたくさんある、ここ葉山に引っ越した。 

幸い海や山は、こどもたちのからだと心を満たすには、大いに助けになったし、たくさんのステレオタイプではない柔軟な見方の方たちと出会えて、わたし自身はとても楽になった。

でもやっぱり、こどもたちが集まって、それをリーダーが導いてくれるような自由と自然をくれる機会は、人気すぎて4年からでは既に入れなかったり、親の付き添いが必要で乳幼児連れでは難しかったりした。

成長と共に起きる葛藤と過ぎていく時間。

そうこうしているうちに、5年生になって、同世代との人間関係を育む機会を失ったまま、本格的に「人との関わり合い」がわからなくなってきてしまった。

9歳を超えると現実的な不安も大きくなっていき、同世代の子どもたちに対する劣等感も出てきてしまう。

学校へ行ってないということへの「罪悪感」も周囲の大人は「心配」という言葉で押し付けてくる。

親が学び、親が環境をつくる。


そんな時、友人から、「フリースクール自宅で始めるよ」と連絡があった。

そっか、それでもいいかもしれない。

息子になんとか適切な学びをと思い、数ヶ月前から共にシュタイナー算数教師養成を受講していた。

シュタイナーに則ったオンライン講座や放課後クラスをしたい気持ちはあったけれど、、フリースクールまでとは考えてなかった。

だけど、来年度小学校に上がる娘のことも考えると、フリースクールといえる場所を自宅から始めてみようと思った。

わたしにどこまでできるかわからないけど、、

シュタイナー 幼稚園をしている先生から、「いいのよ。子どもたちと過ごす中で成長していけば。」という言葉をいただき、背中を押してもらったから。

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