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自分の生き方

皆様、はじめまして。
村井 翔と申します。年齢は37歳、二児の父親です。
初めての投稿になります。よろしくお願い致します。

プロフィールにあるように私はフリーランスとして生きるべく、今年の5月22日に不動産仲介業の店長を辞ました。
周りには『もったいない』、『辞める必要ある?』と思われたり、言われたりもありましたが『これからは自分の人生を謳歌してやるぜ!!』と満面の笑みで会社を後にしたのを鮮明に覚えています。
ただ9月30日現在の私の状況を申し上げますとフリーランスではなく、ただのフリーマンとなっているのが実情です。

私のプロフィールに載ってある経歴は今となっては全てが希望を書いてある状態になっています。
コロナの影響により講演の話が流れ、やはりこれからの時代はITだとプログラマーを目指すも独学に失敗、SNS、ブログ、アフィリエイトも全く手を付けず本当に無作為に130日を過ごしてしまいました。
そのツケが回って現状に至っている次第です。
生活費は10月分までを先に納めていたのですが、11月分からを納める算段がなく、切羽が詰まって生活費を稼ぐ働き口を探す事にしました。

私は5年振りに履歴書を書きました。
この歳になって書く事はないと思っていた物を書くと私の人生の歩み方がまざまざと浮き彫りになりました。
私は高卒で働き出てから転職を5回しています。

1社目は東証一部上場起業の商社で納入機械のメンテナンス
2社目はウェディングプランナー
3社目は私鉄の車掌
4社目は不動産売買の契約事務
5社目が前職の不動産仲介業の店長

以上が私の職歴に書いた内容です。
高校生の時に学校で履歴書を書いた時、初めての転職をした時、2度目の転職をした時、3度目の転職をした時、4社目の転職をした時、職歴が辞めた会社で埋め尽くされていく度にこれが最後と毎回思いながら書いていました。それと同時に履歴書の右上の欄なんて誰が使うんだろうと、転職しすぎだろうと思っていました。
その右上の欄を私自身が使う事になるとは思いもよりませんでした。
愕然とし、ダメ人間の落胤を押されたような感覚でした。
そんな人間にならないと思っていたのになっていました。

4社目の不動産売買の社長に面接の時に『君の生き方に芯がないな』と言われました。その時は『何言ってんねん、このおっさん。』と内心小馬鹿にしていましたし、友人にも『フラフラしてる』と言われた時は『フラフラしてへんわ!どこがフラフラしてんねん!』と大層な剣幕で言い返しました。
言われた時から10年近く立ちますが何も変わっておらず、言われた通りになっていました。

人生を振り返ると、私は自分自身の人生を先を見据えて歩いて来なかった事がわかりました。
例えるとセミのような生き方なのかもしれません。
高校卒業するまでは家庭環境がよろしくなかった事もあり、ネガティブの塊でずっと自分を押し殺し、地中にいたも同然だったと思います。
やっと社会人となりこれからは1人で生きて行けるんだと思っていたのに、自己実現が出来ない事への不安、苛立ち、また横の芝生が青く見えるとはよく言ったもので、その時の気持ちで転職し、木々を飛び回っていたものの、現在は次の木に飛ぶため力が落ちた事に気づいている状態です。下手をしたら一回下に落ちて上を見上げているセミなのかもしれません。

いつからこんな人間になったんだろう、なぜこの歳のこのような状況になるまで気づかなかったんだろう。本当に思うところが多々あります。
ただ幸いにも気づいてしまったんです。
このままじゃいけないという事に。
何かを変えて行動しないといけないと言う事に。
自分の行く末を決めて地道な前進を進む事に。
なので私が出来る事、ほんの些細な事になるかもしれませんがそれを少しづつ行って、自分の生き方を構築して行きます。





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