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世界からいただきますが消えたなら

「いただきます」という言葉が世界から消えてしまうかもしれない。

赤羽の定食屋で鮭ハラス定食を注文し、ご主人に「いただきます」と伝えた瞬間、そんな恐怖におそわれた。

おそらく、久しぶりに誰かに「いただきます」という言葉を伝えたからだ。毎日一人でごはんを食べているので、「いただきます」を言うことはあっても、誰かに向けてその言葉を伝えることはない。

家でごはんを食べるときは、「いただきます」が六畳一間の部屋にむなしく響くだけだ。特に冬場は、冷たい空気の中に溶け込んで、静かに言葉が消えていく。

飲食店に一人で行っても、「いただきます」はとても小さい声で言うようにしている。餃子の王将でも、日高屋でも、松屋でも。声を出すこと自体がはばかられる。

ふと、佐藤健主演の映画「世界から猫が消えたなら」のことが頭をよぎる。確かあの映画は、佐藤健演じる郵便配達員が、自分の寿命を伸ばすために自分の身の周りにあるモノを世界から消していく・・・という物語だったはずだ。

「世界からいただきますが消えたなら」

もしこのままコロナが収束せず、気軽に「いただきます」を言えない状況が続いたら。コロナから人々の命を守るために、「いただきます」という言葉が消えてしまったら、どんな世界になってしまうんだろう。

世界から「いただきます」という言葉が消え、食事中に言葉を発すること自体が禁止となった世界線。

日本中で対面式の飲食店がなくなり、座席はすべて2m間隔の横並びに設置することがルール化される。もちろん、会話は厳禁だ。大学入試の試験会場のような殺伐とした雰囲気でごはんを食べなければならない。

カウンター式の寿司屋も日本から消えてしまう。寿司はすべて、厨房で握られてから運ばれてくるようになる。もう、大将がシャリを握る手つきも、魚をさばく姿も見られない。
「いただきます」はおろか、
「大将、今日のおすすめのネタは何だい?」
「今日は活きのいいアジが入ってますよ!」という寿司屋ならではの軽妙なやりとりをすることもなくなってしまうのだ。

シェフがカウンター式の鉄板焼きでステーキを焼いてくれる高級レストランはどうなってしまうのだろう。目の前で大きな炎を上げながらステーキが焼かれるさまを眺めるのは、エンターテインメントの一環だ。あの炎を楽しむのが鉄板焼きステーキの醍醐味なのに。もはや、ただ運ばれてきたステーキを静かに食べるだけの空しい空間と化してしまう。
女の子と二人で、
「あの炎見て、凄いね!てか熱いよーヤケドしちゃうかも!」
「ふふ、大丈夫だよ。もしものときは僕が守ってあげるさ」
というステーキを焼く炎よりも熱いカップルトークを繰り広げることもできなくなる。ぼくはそもそも女の子と鉄板焼きのステーキを食べたことはないのだが、今後そういうデートができなくなるのは残念でならない。

効率性を求めるチェーンの飲食店では、ロボットがすべての料理を作るようになってしまうかもしれない。AIの技術が発達すれば、それも不可能ではないはずだ。非接触式の食券機が導入され、食券機を購入すると即座に機械が動き出し、寸分の狂いもない作業で餃子の王将定食やら野菜たっぷりタンメンやらキムカル丼やらを作り出す。料理ができたらペッパーくんのようなロボットが食事を配膳してくれて、僕たちはそれを黙々と口に運ぶ。これはこれで便利なのかもしれないけど、やっぱり何だか味気ない。



赤羽の定食屋で鮭ハラス定食を食べながら、「いただきますが消えた世界線」について想像を巡らせていたが、突拍子がない上に収拾がつかなくなったので、テレビに目を向けてみた。

お店のテレビでは、お昼のワイドショーが流れている。2月14日に正式認証されたワクチンについての議論が交わされていた。

ワクチンを接種すると、コロナが発症しなくなり、万が一発症しても重症化にならない効果があるらしい。今後は、人から人への感染も抑えられるかどうかが焦点になるそうだ。

今まで、ワクチンを積極的に接種しようとは思っていなかった。というか、ワクチンについて無知すぎて、接種するかどうかという判断にも至っていなかった。

もしこのままコロナが収束せず、気軽に「いただきます」も言えない状況が続いたら、突拍子もないぼくの想像が現実となり、ごはんを食べる時間が、空間が、とてつもなく味気ないものになってしまう。

そんな世界にならないように、ワクチンへの理解を深めなければいけないと思った。

「いただきます」がきっかけで、ワクチンの接種についても考えさせられた、赤羽の昼下がり。


読んでいただき、誠にありがとうございました!!これからも頑張ります!!