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「気になる」と「気にする」の捉え方

ライターとしてメディアで記事を書かせていただくようになってから、某サイトに記事が転載される機会が増えました。某サイトはとても大きなサイトで、多くの人に記事を読んでもらえる。とてもありがたいことです。

しかしそのサイトには、読者のコメント機能なるものが搭載されています。そのコメントも、基本的にはうれしい言葉が掲載されているんですが、たまに自分に対するネガティブな言葉を発見してしまうのです。

「ちゃんと取材しろよ」
「こんなんで、よくライターできるな」
「つまらない。書く意味なし」

などなど。まあ自分だけに向けられているのであれば、別にいいんですけどね。それに最近は慣れてきましたし……。でも、1つひとつの言葉がトゲのように刺さって、なかなか抜けてくれないことがあります。そんなときにこちら側ができる唯一の対抗策としては、ネガティブなコメントに「そう思わない」ボタンを押すだけ。

「じゃあコメントなんて見なければ?」と思うかもしれませんが、自分が書いた記事に対して「どんな反応があるのか」「どういう読まれ方をされるのか」を確認するのは、客観的な視点を持つためにも大事なことだと個人的には思っています。

では、どうすればいいの?と考えたときに、もう「自分の捉え方」を変えるしかないなと。もっと言うと、コメントを読むときに「自分がどういう状態でいればいいのか」を考えればいいなと思ったわけです。コメントは読むけど、引きずらない。そういう心持ち。

そこでふと、「気になるけど、気にしない」というメンタリティを持てばいいのではないかと思いました。「気になる」と「気にする」。似てる言葉だけれど、何となく違う気がしたからです。

そこで今回も、広辞苑にお力添えいただきました。

まず、「気になる」の意味がこちら。

気になる・・・①心配に思う。気にかかる。②注意をひかれる。興味をそそられる。[広辞苑 第七版]

続いて、「気にする」の意味。

気にする・・・ある物事に心をとらわれ、思いわずらう。心配する。不安に思う。[広辞苑 第七版]

なるほど。似てるけど少し違う。「気にする」は完全に引きずっている。「ある物事に心をとらわれ、思いわずらう」というのは、先述した「言葉がトゲのように刺さって、なかなか抜けてくれない」に近い。

一方で「気になる」も「①心配に思う。気にかかる」という意味はあるものの、読者の反応を確認するためのコメント閲覧はむしろ「②注意をひかれる。興味をそそられる」という気持ち。

こうしてみると「気になるけど、気にしない」という心持ちは、捉え方としてはアリなんじゃないかなと思いました。

ここまで読んでいただいた方は、「だから何だよ。結局自分の捉え方次第じゃん」と思うかもしれません。書いていて自分でも思いました。

けれど、こうやって言葉の意味を理解してから、自分の捉え方の1つとして持っておくと、自分の周りに”薄いベール”ができて、自分のことを少しだけ守ってくれるような気持ちにもなるんだなと。そんなことをグルグル考えながら書きました。乱筆乱文失礼。

読んでいただき、誠にありがとうございました!!これからも頑張ります!!