オーフ・ザ・レコード物語;20XX年のゴッチャ その95

IAEA


 
 IAEA・国際原子力機関はオーストリアのウィーンに本部を置く国連下の自治機関である。専門職員は1,100人余りで、原子力技術の平和利用の促進や軍事転用の防止と監視を組織の目的としている。
 
 北朝鮮は一時、加盟国であったが、核開発疑惑に対するIAEAの特別査察受け入れを拒否し、94 年三月に脱退を通告、その後、米朝両国はまさに衝突寸前の状態に陥った。第二次朝鮮戦争勃発前夜とも言える状況になったのだ。
 
 この危機から世界を救ったのは94年十月に署名された米朝枠組み合意であった。
 
 枠組み合意は、北朝鮮が核開発を凍結し、IAEAの査察を受け入れること等の見返りに西側から軽水炉の建設と重油の支援を受けるというものだったが、その後も北朝鮮の核開発は止まず、2003年十二月に北朝鮮が凍結解除を宣言し、IAEAの査察官を追放したことで終焉を迎えた。
 
 その後、米・朝・中・露・日・韓の六か国による所謂六者協議やアメリカのトランプ元大統領と金正恩総書記の直接会談などを通じて、北朝鮮による核の放棄を目指す外交努力は続いたが、こうした外交努力は結果的に北朝鮮に時間稼ぎを許した。核保有五大国に加え、インド・パキスタン、それに保有を公式には認めていないイスラエルと並ぶ『事実上の核保有国』の地位を彼らが着々と固めるのを防ぐことは出来なかったのだ。
 
 既に完成した最低でも数十発と言われる核兵器と完成寸前と見られる核弾頭搭載大陸間弾道ミサイルやその他の中距離・短距離ミサイルを、体制変更無しで、北朝鮮が破棄するとはもはや誰も思えなくなって久しかったが、今回の核開発凍結と査察受け入れ宣言は、表向きに過ぎない僅かなものとはいえ、時計の針を元に戻そうとする動きであった。これは緊張を緩和するものと歓迎する見方も西側、特に韓国国内には出始めていた。
 
 核技術の軍事転用を監視するのも重要な任務のIAEAが査察に乗り出さない訳にはいかなかった。
 
 2009年から事務局長を務め、19年七月に任期半ばで死去した故・天野之弥や天野の前任でIAEAがノーベル平和賞を受賞した際のモハメド・エルバラダイ事務局長が日本では知られているが、現在の事務局長はスウェーデン出身のエヴァ・スヴェンソンであった。
 
 スヴェンソン事務局長の下にはウィーンの北朝鮮大使館経由で査察団を受け入れる旨の招聘状が、現地時間のその日夕刻、既に届いていて、準備が慌ただしく始まっていた。
 
「やはり、寧辺だけですね、査察を受け入れるのは…」
 スヴェンソン事務局長が確認すると査察を担当する保証措置局のホセ・ガルシア・ヒメネス局長が応えた。
「そうです」
「人数に制限は?」
「それには言及していませんが、過去の例から考えると、せいぜい数十人でしょう。それでも監視カメラの設置をすれば、寧辺の施設の監視は一応可能になります」
「そうですね。査察団の編成案はいつ頃出来ますか?」
「もう少々お時間を下さい。理事国や本人達の同意を得る必要があります」
 
 IAEAの理事会を構成する理事国は35もある。ある程度時間が掛かるのはやむを得ない。
 
「分かりました。何日頃に入れそうですか?
それと先遣隊派遣は可能ですか?」
「それも調整が必要なのですが、ウィーンの北朝鮮大使館担当者は先遣隊の派遣は不要と言っております。機材を含めて査察団の準備が整った段階で、可及的速やかにチャーター機で全員が直接平壌入りして欲しいという意向です」
「チャーター機でウィーンから平壌に直行?」
「ええ、アラスカ経由を考えているそうです。ロシアや中国の領空を通過するのは避けたいようです。定期旅客機で北京経由も好ましくないと考えているようです」
 
 ウクライナ侵攻以降の情勢を考えれば、ロシア上空は避けたいというのは分からないでもない。しかし、わざわざチャーター機でアラスカ経由とは事務局長は解せなかった。査察団が乗り込むだけなら、北京経由の定期便を利用するのが手っ取り早いからだ。
 
「そうですか…しかし、チャーター機の費用は馬鹿になりませんね」
 するとヒメネス局長が応えた。
「驚いたことに彼らが負担するそうです。エール・フランスのA350クラスをチャーターするようで、直ぐに手配すると言っていました」
 
 IAEAに費用を負担せよと言ってくるのではないかと身構えていた事務局長は目を丸くした。
 
「それは私にも驚きです。今回の宣言を彼らが余程重視しているという証ですか…、それとアメリカ領空を通過したいというのは、やはりアピール狙いということですかね…?」
「彼らが何を考えているのか、費用をどうやって工面するのか、それは良く分かりませんが、アメリカ政府とこれも口実に接触も図りたいのではないかと推測しております」
 
 宣言と査察の次に北朝鮮はアメリカとの交渉を再開したいと言っている。だから、この段階でアメリカと早くも接触したいのかもしれないというのはスヴェンソンにも当然理解できた。
 
 すると、ヒメネス局長が付け加えた。
 
「なお、言い忘れていましたが、チャーター機には、ウィーンやベルン、パリにある彼らの在外公館から数名ずつが、通訳兼案内役として一緒に乗り込む方針のようです。査察団の安全と利便の為と言っておりますが、つまりは最初から査察団を監視したいのだろうと思っております」
 
 やはり一筋縄ではいかない。
 
「そうですか…出発前から一悶着起きるかもしれませんが、それでも準備は進めるしかありませんね。理事国、特にアメリカとの調整をよろしくお願いします」
「分かりました。また報告します」
 
 そう言って、ヒメネス局長は事務局長室を後にした。
 
 同じ日の夕暮れ時、パリの大友チームは、セーヌ南総合病院外科病棟の十二階バルコニーで、再び人の動きを撮影していた。通常なら若い男が煙草を吸いに出て来る時間帯だったが、今度は違った。人影が二つ、出て来たのだ。
 
 アルヌーが超望遠レンズ付きカメラを素早く操作し人影に寄る。
 
 すると一人は御本尊の患者、もう一人はいつもの若者で、若者が恭しく差し出した煙草を患者が受け取ると、若者は患者の煙草にライターの火を近付けた。若者自身は吸おうとしない。
 
 白い煙が患者の鼻と口から吐き出された。
 
 患者はいたく上機嫌な様子で若者に話し掛ける。若者は鯱張るばかりで、簡単な返事しかしていない様子だった。
 
 患者は笑みを浮かべながら、煙草を吸い話し続けた。喫煙は当然禁止されている筈だが、余程体調が良いのだろう…大友はそう推察した。
 
 患者が二本目の煙草を吸い終えると若者が吸殻をポケット灰皿と思われるものに収め揃ってバルコニーを後にした。
 
 その間、およそ六分、映像素材としては充分以上の長さを確保したことを大友らは素直に喜んでいた。それだけでは患者が誰と断定できるものではなかったが、直ちに映像を東京に送り、菜々子に報告のメッセージを入れた。
 
 ただ、自分達の姿も外科病棟から捉えられていたことに大友達は全く気付いていなかった。
 
***
 
これは近未来空想小説と言うべき作品である。
当然、全てフィクションと御承知願いたい。 
 
©新野司郎

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