共同親権と夫婦別姓はセットでしょ

「哺乳類は英語でも“mammal”だ。“pappal”とは呼ばれない。親権に関しては、母親に大きな瑕疵でもない限り、母親を優先するのは自然だろう」と、以前、筆者は某駐日アメリカ大使に言い放った記憶がある。

 10年以上も前の懇談の席だったと記憶しているが、そこで「日本には共同親権制度が無い」というのが話題に上ったのである。当時、日本人の母親による子の“連れ去り”が日米間の問題になっていたからである。

 少し乱暴な論法だったせいかもしれないが、筆者の発言に対し大使は無言だった。が、その表情からは納得した気配は全く感じられなかった。

 共同親権は英語では一般に“joint custody”と呼ばれる。欧米ではこの共同親権が法的に確立している国が多く、アメリカでは片方の親による一方的な子の連れ去りは誘拐と看做される場合もあるようだ。大使が納得した様子を見せなかったのも当然だったのだろう。

 しかし、忘れてはいけない。哺乳類は母乳で赤ん坊を育てる。その母乳は母親の血が元になると理解している。血肉を分けるのは母親なのである。

 共同親権を認める日本の法改正の詳細にここで立ち入るつもりは無いし、例えば面会の権利など父親の権利を否定するつもりも無い。私自身、子を持つ父親である。だが、「親権に関しては母親に大きな瑕疵でもない限り母親を優先」すべきと個人的には今でも思っている。ただ、同時に、共同親権が世界の流れであるならば、これも止むを得ないとも思う。現代社会に於いて男女の平等を目指すことは当然でもある。

 しかし、少なくとも戦後の日本社会でこれまで事実上広く適用されてきた母親を優先する慣習を削ってまで男親と女親の権利の平等の実現を図るならば、同時に夫婦の平等の実現も目指すべきではないか?そして、その核とも言うべき喫緊の課題が夫婦の選択的別姓制度の導入なのではないか?と思うのである。

 現在の制度下では、婚姻すれば夫婦ともに両親の戸籍から離れて新たに作られる夫婦の戸籍に入る。その際、姓は同一でなければならず、通常、女性が姓を変える。殆どのケースで男性の方は生まれた時の姓のままでいられる。

 実態として、これは平等なのだろうか?新たに作られる夫婦の戸籍は一緒にするとしても、当人たちが望むのならば姓は別でも良いのではないか?

 少子化問題は待ったなしと言われて久しい。そして、その解決の鍵は、女性が結婚し出産しやすい環境を整えることにあるのは自明である。故に、女性の権利を拡充・確立し、あらゆる面で実質的な男女平等を実現することは急務なのである。目指すだけではもう足りない。早急な“実現”が必要なのである。

 その一つとして選択的夫婦別姓制度を導入するのはもはや待ったなしである。本来なら、共同親権導入とセットにすべきだったとさえ思うのである。

 当然ながら、その為には戸籍制度を改正する必要が生じる。簡単な事ではないのかも知れない。様々な課題も派生するのだろう。しかし、その戸籍制度も明治になってから作られたものに過ぎない。江戸時代までは存在しなかった。戸籍をどんなに遡っても、明治初期の制度導入以前にこの世から旅立ったご先祖様の名前は出て来ない。それでも“家“は存在した。日本人が日本人でなかった訳でも決してない。

 選択的夫婦別姓制度を導入したからと言って日本社会が揺らぐことはないだろう。しかし、少子化と人口減の進行は止めなければ日本の存立が危うくなる。

 最後に言及するが、日本の未来には、移民もしくは外国人労働者の受け入れ問題や同成婚問題なども重要と考える方もおられるだろう。が、この稿の主旨から外れる。割愛させて頂く。

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